Fanfic.】Ｌ.Ａ.の熱い夜

§１　Before
　ロサンジェルスの繁華街に近い一角にあるこのスタンドバーは、学生を中心とした若者達の溜まり場となっていた。談笑や議論、ジョーク合戦だったり人生相談だったり、グラス片手に交わされる話は多岐に渡り、夜が更けてもワイワイがやがや、にぎわいを見せていた。そんな若い熱気が溢れる店内にサキの姿もあった。アニーの厚意で、電話の受話器越しに神と“再会”し約束した言葉。

……会おう、最後にもう一度……

　会いたい、もう一度。押さえきれずに言葉にしてしまった我が侭に応えてくれた、神のその言葉を信じて、サキは独りテーブル席に座り、グラスを傾けていた。
「あと5分」
　壁の時計を見上げ確認する。神と約束した時刻まであと5分。ナイアガラでの再会を思い出し、微かに口元を緩ませる。神と深く結び合えた、絆。その幸福感から自然と口元が緩んでしまう。
　不安がないわけではなかった。もしかしたら会えないのではないか？　組織「猫」との闘いは、神にとって生死を賭けた闘いだ。緊迫した状況になったら寄り道はせず、闘いの道へ戻ることを選択するだろう。それは仕方ない。が、しかし、今、もし何らかの事情で会えなかったら、もう一生会えないかもしれない。そんな不吉な予感もサキの中にあった。知らず知らず固く握りしめていた手をグラスから離し、深呼吸して、カウントダウンに入った約束の時刻を待った。

　神はタクシーから降りてスタンドバーのドアの前に立った。漏れ聞こえてくる人声や音楽。このドアを開ければ、サキがいる。約束の時刻まで、あとほんの2～3分。
　タクシーに乗る前、乗ってからスタンドバーの前で降りるまで何度か、神は迷いを消せないでいた。受話器越しに聞こえたサキの「会いたい、もう一度」の声に、言わば“負けた”のだが、今ここで会うことで、サキを自分の闘いに巻き込んでしまわないか？　今ならまだ引き返せる。揺れ動く心に悩んだ末、意を決して神はドアのバーを握る。
　ドアを開けようと押す寸前、それを止める誰かの左手が、バーを握る神の左手を掴んだ。
「誰だ!?」
「俺の名は、ムウ＝ミサ。サキの、宿命の男だ」
　サキと神の電話での会話を盗み聞きし、スタンドバーの近くで神を待ち伏せしていたムウ＝ミサだった。ミサは掴んだ神の左手を離すことなく、更にググッとより強く握り、神をスタンドバーのドアから遠ざけようとした。
　聞き覚えのある声。ナイアガラで会った男か？　神は記憶を辿り、ナイアガラで猫の組織員に襲われた時のことを思い出した。あの時は、行きがかり上で助けたと言っていたが、では今日は？　本当に「サキを賭けて」やり合うつもりか？　反射的に、神は右手を左脇に下げたホルスターに伸ばしたが、ムウ＝ミサに遮られた。
「今ここで殺り合うつもりはない、TPOをわきまえる常識はあるからな」
　ナイアガラの出来事から、卑怯な人間でもなさそうだと感じた神は、ムウ＝ミサの言葉を信じて右手を降ろすが、その代わり、左手をミサの手から全力で振り解いた。
「サキが…欲しいのか」
「欲しい！」
　神の問いに間髪入れずに答えるムウ＝ミサは、見えない神の眼を、真っ直ぐに、挑戦的に睨みつける。その視線を感じ取った神は、見えぬ眼で受け止め、やはり真っ直ぐに暗闇から視線を返した。ドアの前で動かない二人。目に見えない激しい火花が飛び散る。
「それは、サキ自身が決めることだ」
　自分の私怨の闘いに巻き込みたくない。それにサキにはサキの闘いがある。いずれ互いの進む道が交われば、一緒に歩くことも可能だが、サキの意思を無視して自分の横を歩くことを強要したくない。相手を想えばこそ。だから決めるのはサキだ、と神は思っていた。
　しかしムウ＝ミサは、その言葉を神の確固たる自信と取った。
「くそっ！　たいした自信だなっ！」
　サキが決める、それはサキの前に誰が現れようと、サキが選ぶのは自分だという自信から出る言葉だと解釈したムウ＝ミサは、不本意ながら今回は負けを認め、神から視線を外した。
「まあいい、今夜は逢瀬を楽しむことだな。野暮なことはしないし、させない。だが次に会う時は、その絆、断ち切る！　覚悟しておけよ」
　そう言うとムウ＝ミサは一歩二歩、後退った。腕時計の長針を確かめて11時ジャスト、スタンドバーのドアを開けた。小さく聞こえていた店内の音が、ドアを開けた瞬間、大音量に変わる。
「行くがいい、サキの所へ」
　ドアを開け放してムウ＝ミサは暗闇に消えて行った。何重もの人声や音楽、ざわついた店内から、それらとは違う何かが倒れる音がした。

§２　Just
　ジミーの友人、UFOマニアのジャッカルに捕まり、片言の日本語で興味のないUFO談義を聞かされていたせいもあって、約束までのたった5分が、もの凄く長く感じられた。
　そして11時ジャスト。勢いよく店のドアが開き、来店者を告げる。中央通路沿いのテーブル席で、人の出入りがわかる場所を選んで座っていたサキは、出入り口に立つ長身長髪、そしてサングラス姿の神を見つけ、勢いよく立ち上がった。勢い余って、座っていた木製の丸い椅子が倒れた。
｢神！」
　サキの神を呼ぶ声と、椅子の倒れる音の大きさに、一瞬「何事か!?」と店の中が静まりかえった。音のした方向、そこから出入り口に向かって投げ掛けられる視線、視線の先。二人の間に醸し出される“特別な空気”を感じ取った客達は、待ち人来りの状況を察し、次第にざわめきを取り戻していた。
　カウンター席に移り、二人並んで座る。神はバーボンを注文した。サキは飲みかけの水割りの入ったグラスを、先ほどまで座っていた席から持ってきた。
「ありがとう、来てくれて」
　サキはグラスの氷をゆっくり揺しながら言った。溶けかけの氷がぶつかり合う。
「私も迷っていた。店のドアを開けるまで、このまま立ち去ろうかと。だが今は来て良かったと思っている。この世の未練だな」
　店に入る寸前の、ムウ＝ミサとのやりとりは伏せ、フッと苦笑いする神。サキは両手でギュッとグラスを握り締め、うつむいたまま、神に問い掛けた。
「どうしても、『猫』を倒すまで……」
　帰らないの？　と続けたかったが、当たり前ではないか！　余りにも馬鹿げたセリフに気付き、言葉を飲んだ。それでも神にはわかったらしく、あぁ、と短い答えが返ってきた。沈黙という、そこだけ無音の世界が二人を包む。
　無音の中の二人は、肩に寄りかかるでもなく、肩を抱き寄せるでもなく、等間隔に置かれ固定されている、カウンターの椅子の幅の分だけ、平行に距離があった。
　顔を向き合わせ、互いの瞳を見つめ合うこともしない。誰が見ても恋人同士には見えない二人の姿だったが、それでもこうして隣に神を感じることで、サキは幸せを感じ、神もサキの気配を感じることで一時の安らぎを得ていた。
　長く手元のグラスに視線を落としていたサキが、ふっと顔を上げたサキが、グラスを持ち上げて言った。
「ねぇ、乾杯しよう！」
　ぎこちない笑みを浮かべてグラスを神の前に差し出す。
「神が早く『猫』を倒して、元気な姿で日本へ帰って来れることを祈って！」
　眼には見えなくとも、神にはサキのその表情が手に取る様に分かった。声は明るく聞こえたが、曇り空の顔をしているだろうと。
「乾杯っ！」
「乾杯…」
　カチーン、グラスのぶつかり合う音。無言で残りの酒を飲み干す二人。
「サキ……」
「……そうだね、長居は出来ないね……」
　気付けば周りの客は、だいぶ減っていた。賑やかだった話し声も少なくなって、店内を流れるBGMが聞こえやすくなっていた。時計の針は閉店時刻の午前1時に近かった。

　店の外、ドアの前で見送るサキ。新月の今夜は空は暗く、店のネオンや街灯が、いつも以上にクッキリと浮かび上がる夜だった。
「じゃあね。必ず、必ず戻って来てよ。日本に、東京に、美尾さんやスガちゃんや……あたしの所に」
　それだけ言うのが精一杯だった。後は声にならず、サキの頬には涙が流れていた。神も感じていた。今すぐにでも抱き寄せ、涙を拭ってやりたかったが、それは……
（やはり会わなければ良かったか？）
　心を非情にして、ゆっくりと、振り返らずに、神はサキの前から立ち去って行った。次第に遠くなっていく神を見送りながら、追い掛けてはいけない、と自分に言い聞かせるサキ。
（追いかけちゃいけない、けど……）
　次の瞬間、サキは駆け出していた。
「神……待って、神！」
　切ない声でサキに呼び止められた神は、その場で立ち止まらずにはいられなかった。追い付いたサキが神の背中に抱きつく。
「サキ、私は……」
「わかってる！　わかってるけど、せめて……今夜一晩だけでも、一緒に、神の側に一緒に居させて。ううん、一緒に居たい……」
　神を困らせるつもりはなかったが、理性を押さえきれなくなっていたサキは、自分が今何を言ったのか、充分に理解していた。一夜を共にすると言う意味、覚悟は出来ている。
　背中に感じるサキの震える身体。漏れた言葉の意味。神は回されたサキの腕を振り解けなかった。女に気を許していれば、すぐにも『猫』の手下共に殺られるかもしれない。今、こうしている事でさえ危険なのだから。だが……

―――野暮なことはしないし、させない―――

　なぜかムウ＝ミサの声が、神の頭の中で響き渡る。その意味するところは何か？　相手の素性を何も知らないのに、信じて良いものか？　自問する神。
「サキ！」
　押し止めていた神の理性が決壊した。それが神の自問に対する答え。ロサンジェルスの街角で強く抱き合い、唇を重ねる二人。

§３　After
　空が白み始め、また新たな一日が始まろうとしている。目を覚ました神は、隣でまだ寝息を立てているサキを起こさないように、静かにベッドから降りると、素早く身支度を調えた。短い一夜だったが安らぎを得て、久しぶりに長く熟睡できたように感じていた。
　出発の準備を終え、今一度、神はベッドの方を振り向く。
（さらばだ、サキ。またいつの日か会える、その日まで）
　そして今度こそ振り返らず、静かにホテルの部屋を出て行った。サキが目を覚ましたのは、それから僅か2～3分後の事だった。

　ベッドが広い、ハッと気付いて横を見る。居ない。体を起こして部屋の中を見回したが、想い人の姿はなかった。激しく熱く、それでいて優しさで包んでくれた神の姿は部屋のどこにもなかった。
「行っちまったのか…………」
　ベッドには、まだ温もりが残っていた。微かなその温もりを、手を伸ばし、そーっと確かめるサキ。ポタッ、サキの手に一粒の涙が落ちた。

＜終わり＞