そうだったらいいのにな Episode 7「キャンセル」
挙式日へのカウントダウンが始まった、６月最初の日曜日、神は一人で、沼夫妻の住むアパートを訪ねた。
ここへ来たことは、サキには内緒だった。神の“固い決意”を聞かされた沼夫妻は、その内容に目を丸くし、声を揃えて理由を尋ねた。
「来年の成人式に、振り袖を着せてやりたいと思いまして……」
「そうでしたか」
女の由梨は、ピンときて頷いた。男の重三は首を傾げ、由梨に意味を聞いた。
「でも、子どもが出来るまでは、振り袖でも良いと聞きますが」
そうアドバイスした由梨に、沼は“それは、わからんぞ”と茶々を入れる。神は少し顔を赤らめたが、冷静に話を続けた。
「いえ、もう一つ欲を言えば、彼女を『麻宮サキ』として、出席させたいのです」
重三も由梨も、その意味が、いまひとつ掴めなかった。
「今までサキは、『年頃の女の子』としての経験が、あまり有りませんでした。弱いものを庇い、悪と闘う……。そういったものを、我々は 『スケバン刑事 麻宮サキ』に求めてきましたから」
「しかし、それはサキの『性分』が……」
「ですから、せめて成人式には、年相応の格好をさせ、『麻宮サキ』のまま、出席させたいと思いまして……。私の勝手な『願い』かもしれませんが」
「サキさんのこと、本当に、とても大切に想ってらっしゃるんですね」
由梨は神に微笑んだ。
「直前になって、わがままを言うようですが、よろしく、お願いします」
深く、頭を下げる神。
「いやぁ、わしらの方は構わん……、というよりも、むしろ助かったかも……。なぁ？」
重三は少々顔を赤らめて、隣の妻を見る。由梨も少し照れて、顔を赤らめた。
「実は、そのー。わしらにも……」
しどろもどろと理由を話す重三。
「それなら、尚更です。由梨さんの身体を最優先させなければ」
「でもサキさんには、今日のことは話してないんでしょう？ 怒るでしょうね。それに、今からだとキャンセル料が……」
由梨は心配そうに、神の顔を見た。神は、ハハ……と乾いた声を漏らした。
「それは覚悟の上ですが、サキも、由梨さんのことを聞けば、納得してくれるでしょう」
玄関の外まで見送ってくれた重三と由梨に、もう一度、深く頭を下げると、神は帰路についた。いや、正確には、一カ所“寄り道”して、事務所へ帰った。
事務所に帰ってきた神は、タイミングを見計らって、サキに告げた。内緒で沼のアパートを訪ねたこと。その足で、挙式予約をした結婚式場を訪ねたことを。
そして、神私立探偵事務所から、悲鳴に近い怒鳴り声が響き渡った。
「何だって？ もう一度、言ってみろよぉー！」
事務所中はおろか、隣近所まで、裕に聞こえる大声を上げたサキの右手に、ヨーヨーが光る。
「さぁー、始まった♪」
スガは、用意していた耳栓を突っ込んだ。今朝、事前に“こうなるだろう”ことは、神から聞かされていたので、“嵐”に慌てる事なく、平気で仕事を続ける。
「だから、沼さんとも相談して、今日、式場をキャンセルして来た」
「冗談じゃないぜ！ あたしに一言の相談も無しにかい！？」
サキの怒りは、頂点に達しようとしていた。
「落ち着け。俺の話も聞いてくれ」
神は説得にかかった。
「話？ 何の話？ 聞く耳持たないねっ！！」
語気荒く突っぱねる態度とは反対に、サキの頬には涙が一筋。言い訳なんか聞きたくない、と部屋を飛び出ようとするサキの腕をつかんで止め、そのまま、自分の胸に抱き寄せる神。サキはバタバタと神の腕の中で暴れ、逃げ出そうとする。
「由梨さんが妊娠したそうだ」
「えっ…！？」
神が発した一言に、サキはハッとして暴れるのを止め、それまで背けていた顔を、神に向けた。
「つい先日、わかったばかりで、予定日は12月末。挙式日の６月26日は、まだ４カ月半ばで、とても無理はさせられない時期だ。それとも、沼さん以外の人に、仲人をやってもらうか？」
サキは何度も首を横に振り、思いっきり否定した。
「そんなの、嫌だよ。そっかあ、由梨さんに赤ちゃん……」
神の胸に顔をうずめたサキ。どうやら“嵐”は、収まったようだ。
「それに、振り袖、着たいんだろ？」
「はぁ？ 振り袖？ 何のこと？」
うずめていた顔を上げ、サキは怪訝な顔で神に問い返す。サキにとっては、神の言葉は唐突で、意味不明だったようだ。
「成人式に、振り袖が着たかったんじゃないのか？ だいたい、キャンセルを決めた、一番の理由は……」
毎日のように舞い込む、各種のダイレクトメール。来年、成人式を迎えるサキのところにも、鷹ノ羽高校を卒業する少し前くらいから、“新作お振り袖 今ならお値打ち！”という類いのダイレクトメールが、何通か来ていた。
いつだったかサキが、それらに見入った後、“成人式に振り袖かぁ……”と、ちょっぴり残念そうに、ゴミ箱に捨てていたのを、神は偶然見たことがあった。
そして先日、衣装決めで式場へ行った時のこと。その日は、ちょうど一組、結婚式があったようで、ロビーは披露宴の出席者で賑わっていた。衣装の置いてある仕度部屋へ行くには、ロビーを横切る必要があり、神とサキは、担当者に案内されるまま、賑わう中を歩いていったのだが、傍らのサキが、ロビーを抜けるまで、ある方向に熱い視線を投げかけていたのが、神は気になった。
サキが見ていたのは、ロビーの片隅で談笑する、披露宴の出席者らしい、振り袖姿の女性たちだった。あの情景の中で、何がサキの心を捉えたのだろうか？ やはり振り袖か？ それを切っ掛けに神は考え、“サキは振り袖を着て成人式に出たいのではないか？”と結論を出し、今日の行動へと繋げたのだが……。
「やだなー。それって、神の考えすぎ！ 振り袖、というより着物を見ると思い出すんだよ。ほら、三平と美幸が見合いした時に着ていった、あの着物を。脱ぎ捨てたまま、見合いの場から飛び出したもんだから。別に、深い意味なんて、なかったんだけどな。成人式も、出たいとは思わないし」
今度は神が、サキの言葉に呆然とした。ふと漏らした言葉、ふと露わにした表情。それは神の、勝手な解釈だったということか。
「そうか、あの時の振り袖が気になってたのか……」
気の抜けた声。ガックリと肩を落として、うなだれる神は、それでも記憶をたぐり寄せて、あの当時のことを思い出そうとした。
「あれは確か、三平が事務所まで持ってきてくれて、それを美尾が手入れをしていたな。たぶん、事務所のどこかに保管してあると思うが？」
「そうだったんだ！ 今度、スガちゃんに聞いてみよう！」
サキの瞳がキラキラ輝いた。神は不思議に思った。神自身も忘れかけていたのに、未だにサキが拘る理由とは？
「一つだけ、聞いて良いか？」
「何？」
「どうして、あの振り袖のことを気にするんだ？ 脱ぎ捨ててきたから、だけか？ それとも何か別の理由が？」
照れがあって言い出しにくいのか、サキは“あのー” や“そのー”を何度か繰り返して、やっと本題に入った。
「初めて……、生まれて初めて、『あたしのためだけに』って、もらった物だから。損得抜きで、純粋に、あたしのためだけに、あの振り袖……」
サキに言わせれば、サキにしか扱えない桜の代紋入りヨーヨーは、“否応なく持たされた物”であり、ディオールの香水も、“単なる土産”に過ぎなかったらしい。生まれて初めて、赤の他人から、自分だけに与えられた贈り物。それが、あの振り袖であり、サキにとっては、一生忘れられない品になったという。
拘る特別な理由を聞いて、その愛しさに、神はサキをギュッと抱きしめた。
「まっ、振り袖のことは、とにかくとして。由梨さんのこともあるし、来年の春だな」
「うん…」
「俺だって、生身の男だからな。つらいんだぞ。同じ屋根の下で、お前と暮らしているんだ」
神の右手が、サキの頬を優しく撫でる。指先が唇に触れた。
「今は、まだ『理性』が勝っているが、そのうち……」
「そのうち、何ですって？ 先生！」
二人の唇が重なる寸前、バタンッと勢い良くドアを蹴って、無情にもスガが邪魔をしに入る。慌てて離れる二人。
「大滝さんがお見えです」
コホン。軽く咳ばらいをして、神はスガを睨む。
「ああ、わかった。調査書を……」
「出してあります。急いでみえますので、早くいらしてくださいねっ！」
神の睨みも、どこ吹く風。言うことだけ言って、またドアをバタンッ。
（う～！ スガの奴！）
眉間にシワを、いーっぱい寄せて、神はギリギリと歯軋りを立てた。
（一体、誰のせいで、俺が、欲求不満になっていると思っているんだ！？）
スガの “サキへの気遣い。神への想い”が形になった誓約書は、結婚するまで無効にならない。それは、それで仕方がないが、スガは誓約書を盾に、昼間も、なるべく二人だけにしないよう、気を使って（？）いる。神は、それが不満らしい。健康な成年男子が、恋人と一緒にいて、キス一つ、思うように出来ない状態では、欲求不満は増すばかり。
壁に向かって唸っている神を見て、ちょっと不思議に思うサキ。Ｈな思いをスガに阻まれ、怒っているとは、サキには考えつかないらしい。
「早く行かないと、またスガちゃんが」
サキが言ったそばから
「せんせー！ 早くお願いしまーす！」
角の生えたスガが、ドアを開けた。
「行ってくる」
眉間にシワを寄せたまま （さすがに営業の時は、普段の顔付きになっていたが） 神は部屋を出ていった。
（このモヤモヤした気持ちを、来年の春まで味わうのか？）
神は深い溜め息をついた。
＜キャンセル ＥＮＤ＞