そうだったらいいのにな Episode 5「卒業」
第七十七回 鷹ノ羽高等学校 卒業証書授与式
校門に立て掛けてある看板。春、三月、卒業の季節は、鷹ノ羽高校にもやってきた。
開会の言葉に始まって、君が代斉唱。クラス代表による、校長先生からの “卒業証書” 授与。来賓の長い祝辞、在校生の送辞と卒業生の答辞。仰げば尊し、蛍の光、そして校歌斉唱……。
派手でもなく、地味でもなく、ごく在り来りの儀式だったが、巣立つ三年生にとっては、数々の思い出が交差する、感慨深い一時だった。
その“感慨深い一時”を今日、サキも同級生と共有することが出来た。保護者席には、神の姿も見える。教育委員会も学校側も、“特例”という形で認めたサキの卒業は、担任だった沼重三の努力の賜物だ。
式は終了し、在校生や職員、保護者達の拍手に送られて、三年生は会場の体育館から退場し、ホームルームに戻って担任から一人ずつ順番に卒業証書を手渡される。
「次ぎ、麻宮サキ」
沼の太い声が、サキを呼ぶ。
「はい…」
返事をして、教壇の方へ歩み出た。
「おめでとう」
沼の手から、サキの手へ。確かに“麻宮サキ”と記入された、卒業証書が渡された。縁のない物と思っていた卒業証書。サキは何度も、自分の名前を確かめた。
全員に渡し終えて、沼は用意してきた祝辞を、かわいい“我が子”たちに送る。
「今は人生八十年の時代だ。おまえたちは、やっと、人生の入り口に立ったところだ。悔いの無い人生を！ と言いたいところだが、悔いが一つも無い人生なんて、実は、あり得ない！ だったら、この先六十年、いかに悔いを少なく生きていくか、だ。君達には未来がある。頑張って生きてくれ。これが、俺からの『はなむけの言葉』だ」
沼はハンカチで目頭を押さえる。それにつられて女子の何人かが、同じようにハンカチで流れる涙を押さえていた。
こういう場面で涙するのは、自分はガラじゃないと思っていたサキも、瞳を潤ませた。
いろんな思い出。最初の頃は苦いものばかりだ。はみ出した自分を目の敵にした沼。自分しか信じられなかった、あの頃。
しかし、桜の代紋を受け取った“あの日”から、自分と自分を取り巻く環境は随分と変わってしまった。運命とは何と不思議なものだろう。サキは誰にも悟られないように、そっと涙を拭った。
「ほおー。さすがのおまえも、目がウサギだな」
教室を出ていこうとした沼が、サキの瞳が潤んでいたことを見抜いた。
「何言ってんだか。沼さんこそ真っ赤じゃないか。これこそ『鬼の目に涙』だな」
「最後まで、口の減らん奴だな」
サキと沼は、顔を見合わせて笑った。互いに“らしくない”自分に照れた。
「元気でね」
「また、電話する」
「誰か『第２ボタン』もらってくれぇ」
様々な言葉が交わされ、名残惜しく一人、また一人と、校舎に背を向けていく。
「今年も、無事、終わりましたねぇ、教頭先生」
「はい、校長先生。今年も、いい子達ばかりで」
校長と教頭は仲良く並び、校長室の窓から目を細めて卒業生を見送る。沼も、職員室の窓から、卒業生の背中を見送っていた。
「一番手こずらされた、サキの卒業が、何より嬉しいとは、わしも歳をくったな」
長くなった煙草の灰を、手に持った灰皿に落とし、思いを馳せる。
《 入学早々、煙草とは、いい度胸だな 》
《 あんた、誰だ？ 》
《 教師の顔くらい、覚えておくんだな。俺は補導部の沼重三だ！ 》
《 はは！ 捕まえたぞ、麻宮サキ！ これで、少年院送りだ！ 》
《 チッ。あんたに捕まるとは、とんだ大ドジだぜ 》
《 ほざくがいい！ 負け犬め！ 》
《 桜の…代紋…… 》
《 こいつが有る限り、あんたは、あたしに手を出せない 》
《 サキが…スケバン刑事！ 》
今も鮮明に記憶している数々。悪から正義へ！ 見事、転身したサキの生き様は、万里亜と同じ“紅”の色で沼の心に焼き付いた。
「サキさぁ～ん」
「サキおねえサマァ～♪♪♪」
廊下に出て、すぐにサキは下級生の女の子たちに追いかけられ、あたふた逃げ回ったあげく、玄関の靴箱付近で観念して逃げるのを止めた。たちまち下級生たちに取り囲まれて、黄色い声に包まれる。そして花束やプレゼントが、ドッサリとサキの両手を埋め尽くした。
「サキおねえサマのいない鷹ノ羽高校なんて、お味噌の入っていない、お味噌汁よ」
「おっねえさまぁ～♪ 第２ボタンくださいっ！」
無茶苦茶なハートらぶらぶ攻撃にも笑顔で応え、命からがら靴に履き替えたサキは、校庭へ飛び出した。
「うぉ～い。サキぃー」
先頭のアグラを始め、今まで一緒に闘ってきた全国の “仲間たち” が、ドドーッと校庭に詰め掛けていた。
「ハレ？ まあ団体で。出入りでもあるのかい？」
ふにゃー。拍子抜けの言葉に、アグラはコケた。
「ったく、もう！ 寝ぼけたこと、言いやがって！ おまえが、無事に卒業できたんで、パァーッと祝ってやろうと思ってさぁ」
数え切れない程の仲間たちが、拍手と“おめでとう”の言葉をくれた。
後を追ってきた下級生たちも混じって、校庭に、盛大な“サキコール”が巻き起こる。サキは嬉しさで、再び涙が込み上げてきた。
「ありがとう…今は、この言葉しか見つからない。本当に、ありがとう！！」
春の風が、優しく校庭を吹き抜ける。
「間に合ったぁー！ サキ、おめでとー！」
「おめでとう、サキ」
美鈴と聖子だった。
「あたしも今日が卒業式だったの。良かったぁ、ギリギリで間に合って」
美鈴も卒業証書の入った筒を持っていた。自分も“卒業おめでとう”なのに、聖子を誘って、サキに“おめでとう”を言いに来たという。
「だって、サキの“新しい旅立ちの日”だもの」
聖子はＴ大に在学中だし、美鈴は推薦で、Ｗ大の法学部に進学が決まっている。そして二人とも学生刑事を続ける意志があった。
対してサキは、もうこれ以上、学校という名の付く所で“勉強”する気はないし、何より神という“パートナー”と一緒に歩むことを決めている。卒業して“学生”でなくなれば、学生刑事も自動的に“退職”だ。
サキにとって今日の鷹ノ羽からの巣立ちは、いろんな意味で新たな第一歩を踏み出す時でもあった。
「それは、そうと。待ってたぜ！ 校門のところで」
アグラが右の親指を立てて、クイクイっと校門の方を示した。
「へっ？ 誰が？」
「このぉ。トボケちゃって。未来の『ダンナさん』だよぉ」
アグラは肘でサキの背中をグリグリ。仲間は顔を見合わせ、ニヤニヤ。みんなの視線が校門へ向けられ、サキの顔が、ポッと赤くなった。校門の横で、神が待っていた。
ヒューヒュー！ アツイねぇ！ ピューピュー！ 冷やかしの声を背中に浴びて、サキの顔は更に赤くなった。
「な…何だ。待っててくれたの。先に帰っても、良かったのに」
「そりゃないだろう。警視の所へ行くなら、送ってやろうと思って」
桜の代紋入りヨーヨーを返すため、サキは卒業式が終わった後、暗闇警視に会う約束をしていた。
「運転、大丈夫？」
「俺を甘く見るなよ。安全スピードなら、大丈夫さ」
「げっ。あんたの『安全スピード』なんて、当てになるかぁ？」
「リハビリも終わって、完全『復帰』してるんだぞ」
サキは神の好意に甘えることにし、振り返って、仲間に、下級生に、そして鷹ノ羽高校に別れを告げる。
「みんなーっ、元気でなー。あばよーっ！」
風に吹かれて、桜が舞う。
「おまえこそーっ！」
「おねえさまぁー♪ いつでも遊びに来てくださいねぇん！」
孤独だった頃のサキの面影は、もうない。
桜の舞う中、皆に見送られて、サキは鷹ノ羽高校を卒業していった。
神と一緒に、サキは暗闇警視の部屋を訪ねた。
「ヨーヨー、返しに来た」
桜の代紋入りのヨーヨーを、警視の机の上に置く。
「では、卒業祝いに」
いつもより、さらに言葉少な目に、暗闇警視は引き出しから出した箱を、サキに差し出した。
「わぁ。あんたから、プレゼントもらえるなんて♪ 何だろ？」
サキは早速、包みを開けてみる。目を見張った。新品のヨーヨーが二つ。返した物と、そっくり同じだ。
外見だけではない。中央の“蓋”を開ければ“Ｓｐｅｃｉａｌ Ｌｉｃｅｎｓｅ”と打たれたプレートと、“銀の桜の代紋”がセットされていた。
「なぜ？ どうして？」
「退職金代わりの『特別許可証』だ」
当惑するサキに暗闇警視は説明する。
「神と一緒に『生きていく』なら、武器が必要だろう？ おまえの武器は？」
確かに。神の“パートナー”になれば、今まで以上に危険と隣り合わせになる。鉛入りのヨーヨーに慣れたサキは、市販品では物足りないし、心許ない気がしていた。それに、鉛入りでなくても、サキの使い方からすれば“凶器”だ。今まで、無茶が出来たのも、桜の代紋のおかげ。それらを考慮しての、暗闇警視の粋な計らい。
「これまでと同じく、警視以上に通達しておく。トラブルが有ったら見せるといい。それと、ヨーヨーに何かあったら、その名刺の所に連絡するといい」
箱の隅に名刺が入れてあった。このヨーヨーを制作した、警視庁開発部の人間の名が記されていた。
「黒メガネ……。ありがとう」
「礼を言うのは、こちらの方だ。今まで御苦労だった。ありがとう、サキ」
今日のサキは涙腺が緩みっぱなし。真新しいヨーヨーをリストバンドに装着すると、行き慣れた部屋を神と二人で静かに出た。
（さらばだ。サキ…）
暗闇警視は、二人を送り出した後、ヨーヨーが入っていた同じ引き出しから“辞表”を取り出した。
春、三月、卒業の季節。この日サキは、学生刑事からも“卒業”した。
＜卒業 ＥＮＤ＞