Fanfic. Sou】Epi.15 天使は初夏の風に乗って

そうだったらいいのにな Episode 15「天使は初夏の風に乗って」

サキの“疲れたから”の一言が決め手となって、成田で上手くムウ=ミサを蹴散らしてから、早くも三週間が経っていた。ムウ=ミサは、どうやらおジャマ虫する暇もなく、次の仕事に就いたらしい。
結婚前と、さほど変わりがないように見えて、でも何となく変わった風にも思える日常生活のペースに、サキも恭一郎も慣れてきた矢先、急な仕事の依頼が来た。ほのかに漂っていた甘いムードも、ピリリッとした緊張ムードに変わった。イチャイチャお預けで深夜まで、スガと三人して資料の山とニラメッコ。
「一息つかない? いい加減、疲れちゃったよ」
ふぅっ、と軽い溜め息をついて、サキは恭一郎に話し掛けた。
「そうだな、ここらで一服するか」
「じゃあ、コーヒー入れますね」
スガが先に立ち上がりキッチンへ。サキも立ち上がってその場で大きく伸びをしてから、キッチンへ歩いて行った。
恭一郎も伸びをして、内ポケットから今日二十数本目の煙草を取り出し、火をつけた。
しばらくして、キッチンの方から、ガチャーンと何かの壊れる音がした。
「またか。あいつがキッチンに立つと必ず、何か壊れるんだ」
やれやれ、と恭一郎は覗きに行った。
「ドジな奥さん。今度は何を……サキっ! どうした!?」
流しの所でサキが崩れかけている。スガは必至にサキの体を支えてた。駆け寄った恭一郎が急いでサキを抱き起こした。
「大丈夫か? 一体、どうした?」
スガが持ってきたキッチン用の椅子に、ひとまず座らせる。
「コーヒー入れてたら、急に気分が悪くなって。ごめん。カップ、割れちゃった」
スガは大きな破片を拾い集め、ケガをするといけないから、手を出さないで、そのままでいるようにと念を押してから、掃除機を取りに行った。
手を出さないようにと言われても、足下の破片が気になったサキは体を曲げて、破片を拾おうと手を延ばした。恭一郎が、大丈夫か無理するなと一緒に体を曲げた直後、サキは“ウッ”と口元を押さえた。
「吐きそうか? えーと、そうだ、洗面器か何か」
恭一郎はサキの背中をさすりながら、慌てた。掃除機を持って帰ってきたスガは、その様子を見て、再度、今度は洗面器を取りにその場を離れた。
「込み上げてきそうで、出ない。胃がムカムカして気持ち悪いんだけど……出ない感じ…」
はぁはぁ、短く浅い呼吸。サキの背中をさする恭一郎に、スガが持ってきた洗面器を差し出す。恭一郎は洗面器を受け取り、サキの前に置いた。
「ありがとう、スガちゃん……」
サキの顔は少し青ざめていた。
「今日は休め。後は俺とスガで片づけるから」
「でも、明日までに……」
「心配するな。関連付けは、ほとんど終わっているから、何とかなるさ」
「そうですよ。体調の悪いときは、休むに限ります」
サキは少し考えて、結論を出した。
「じゃあ、悪いけど、先に寝るね。本当言うと、ここ二~三日、調子悪かったんだ。体がだるくて、胃の調子も変で……」
それを聞いて、スガは何か閃いたようだったが、思い過ごしかもしれないと口には出さなかった。仕事に入ってから徹夜同然の日が続いたからかもしれないし、だいたい、自分の頭に閃いたことなら、本人が一番、自覚があるはずだし、と。

吐き気の治まったサキは、恭一郎に肩を抱かれて、キッチンの出入り口まで歩いて来た。
「ベッドまで、付いていこうか?」
サキは、クスッと笑って問い掛けた。
「ベッドまで一緒に行って『何もしない』自信ある?」
「ある…と思う。あー、いや。わからんな、最近ご無沙汰……」
「はいはい、『そういう話』は仕事が終わって、サキさんの体調が良くなってから、コッソリとやってください!」
割れたカップの破片を片付け終わって、掃除機を置いてきたスガが二人の間に割って入った。
「お、おやすみなさい」
「おやすみ」
スガが後ろを向いている隙に、軽いキスひとつ交わして、サキは寝室へ、恭一郎は仕事部屋へと別れた。

翌日、目覚めたサキは、やはり体の“けだるさ”を感じていた。胃の不快感も残っている。
明け方近く、ゴソゴソとベッドに潜り込んできて、今は良く寝ている恭一郎を起こさない様に、そーっとベッドを抜け出したサキは、脱ぎっぱなしで散らばっているシャツやズボンをハンガーに掛けた。
再びベッドに入ろうか、目が覚めたから朝食の支度をしようか、考えているうちに、静寂を破って、目覚ましの音がけたたましく鳴り響いた。七時ジャスト。モソモソと、恭一郎が起き上がった。眠そうな目。
「おはよう。まだ寝てなくて、いいの? 約束は午後からでしょ?」
「詰めの作業がな、書き写すだけなんだが……、それより、お前は良いのか?」
「うーん、体が、まだちょっと、だるいかな。胃も、ムカムカする」
サキは胃の辺りを手で押さえる。
「藤野先生に診てもらってくるか?」
「え? そんな大げさな。疲れが溜まっているだけだよ。少し休めば大丈夫だって」
「風邪の引き始めかもしれないぞ。疲れから抵抗力が落ちているのかもしれない」
恭一郎はサキの体を気遣って病院行きを勧めると、パジャマの上着を脱いで、眠気覚ましのシャワーを浴びにバスルームへ移動して行った。
起き抜けだったから不調だったのか? 起きていたら少し気分が良くなったので、朝食の支度をしにパジャマのままでサキがキッチンへ行くと、既にスガが用意してくれた後だった。
仕事の切りが付いた時間が時間だし、寝ずに朝食の支度をしていたらしい。用意し終わって気が緩んだのか、ソファで爆睡中。サキは薄手の掛け布団を持ってきて、起こさないように、そーっとスガの体に掛けた。

用意してあった朝食を食べ、サキが洗い物をしていると、スガが目を覚ました。
「すみません、後はやりますから、サキさんこそ休んでください。まだ気分、悪いんでしょう?」
「今は治ったよ。起きた時や、さっきトーストしてた時は結構キツかったけど」
それを聞いて再度、スガは昨夜の閃きを思い出した。
「ああ、スガ、起きたのか。起きて直ぐで悪いが、こっちを手伝ってくれないか? 何か食べてからで良いから」
サキの様子を見に来たらしい恭一郎は、スガの顔を見るとそう言い、サキにも一言、言った。
「もう診察が始まっている時間だから、早めに行ってくると良いぞ」
「診察って、藤野先生のところですか?」
「? ああ、そうだが?」
スガから声が返ってくるとは思わず、一瞬、怪訝な顔をして、スガの質問に答えると、恭一郎は再び仕事部屋へ入っていった。
「疲労だと思うから、少し休めば治るって言ってるのに、藤野先生に診てもらえって、うるさいの!」
サキの愚痴を耳に流しながら、スガは藤野病院の診療科目を必至で思い出し、大丈夫だと確信して、サキに切り出す。
「あのー、サキさん。昨夜から気になっていたんですけど、サキさん、ひょっとして」
スガは、サキに耳打ちする。スガの言葉に何やら顔を赤くして、驚きの表情を見せるサキ。
更にスガは二言、三言、追加の耳打ちをして、大事なことだからと念を押した。

今日は込み合っていたので、受付をしてから会計を済ませるまでに、一時間半かかった。
サキは時々、おなかに手を当てて、一人で照れ笑いしながら考える。何て切り出そうか、と。ショルダーバッグを無意識に、右に、左に、忙しなく掛け替えていた。
考えて、考えて。いつの間にか、我が家へ辿り着いていた。
「お帰りなさい」
自動ドアを一歩入ると、スガの元気な声がサキを出迎えた。スガはサキに駆け寄ると小声で結果を聞いた。
「で、どうでした?」
頬を染め、照れ笑いするサキ。手は自然に、おなかに当てられていた。それを見てスガは、ささっとサキの背中を押した。
「資料室で片付けされてます。提出書類は出来上がったので、出掛ける時間まで、資料の整理だそうです」
「ありがとう」
ショルダーバッグを肩から外してテーブルに置くと、サキは資料室へと歩き出した。

開けっ放しの資料室のドアを、サキはノックする。
「どうだった? 過労か? それとも風邪か?」
恭一郎は、ここから出した資料と、今回の仕事で新しく追加した資料の分類作業をしていた。
「違う……」
サキは否定するが、声が小さかったのか、恭一郎には聞こえなかった様だ。
「仕事のことは心配しなくて良いぞ。あとは依頼主に書類を渡せば終わりだ。ゆっくり休むと良い」
「だから、風邪とか過労じゃなくて」
サキは恭一郎の耳元に顔を近付け、ゴニョゴニョゴニョ。
「………」
「!」
恭一郎の顔が、見る見る変わる。最初は驚きの顔。目を丸くし、口を半開きにして、時が止まったように固まっていた。それが猛スピードで崩れていく。半開きだった口元は口角が上がり、目一杯、広げられた。丸かった目は、更に丸く、キラキラと喜びで輝いた。
当然、作業していた手も止まっていた。
「男か? 女か? いつ生まれるんだ?」
「やだな、気が早い。生まれてみなけりゃ、わからないよ、男の子なのか、女の子なのか。予定日は12月27日ね」
前々から“早く欲しい”とは思っていたが、本当にその願いが叶うと知ると、恭一郎は嬉しくて嬉しくて、サキを胴上げしたいくらいの嬉しさだった。
「ありがとう……サキ」
恭一郎はサキを抱き締めた。

初夏の風が気持ち良い、五月下旬の出来事だった。

<天使は初夏の風に乗って END>

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