そうだったらいいのにな Episode 1「闘いの果てに」～６：帰還～
いろいろな思いを交差させながら、遠ざかる梁山泊をヘリの窓から見入っていたサキと神は、背後から叱責を受けた。
「こらっ、寝てろって言っただろう！」
自分たちに向けられた声に二人は目を丸くて後を見ると、離陸前に神のカルテを書いていた医師が、これでもか、っというほどに眉と眉の間に皺を寄せ、口をへの字に曲げていた。歳の頃は、神と同じくらいか？ 背格好は神より少し低い、そう、安否が気遣われるムウ＝ミサくらいか。
「無茶は、いかんよ。無茶は！ せっかく鍛えた良い体なのに、無茶して取り返しの付かないことになったら、元も子もないだろう。ほら、寝る！」
医師は小言を言うと、押してきたワゴンにストッパーを掛け、簡易ベッドの横でサキの左側に並んで屈む。サキが支えていた神の背中に左腕を当て、何をするのか？ と自分を見ているサキの顔を見て、クイッと顎をしゃくり、サキに合図した。その動作で、医師が何を言いたいのか理解できたサキは、神の背中から手を離し、代わりに医師が神の体を支えると、ゆっくりと神をベッドに寝かせた。
ワゴンの一段目のトレーからハサミを取り出し、手当をするのに不必要な、血だらけのネクタイや服を切って取り除く。そして、また小言を一言、二言。
「弾は入ったままだよなぁ。どんな理由が有ったにしろ、ロクに止血もせずに動いてたら、そりゃ、ぶっ倒れるわなぁ」
二段目のトレーから注射器と、同じ段の薬品箱から薬液の入った小瓶を一つ取り出す。手際よく注射器を袋から出し、薬液を注射器に詰める。
「止血剤打っておくから、話はそれからだ。あそこに毛布が置いてある。寒いだろうから、掛けると良い。何か変わった事が有ったら、すぐ知らせてくれ」
左の親指を立てて自分の肩越しに指差し、医師から見て後方にある毛布の位置を教えると、忙しく次の患者へ足を運んだ。
乗り合わせた患者達は、当然ながら信楽老の私兵達で、爆発に巻き込まれたり、攻撃隊との小競り合いで負傷したうちの、特に重傷と思われる二十数人。それらの患者に対し、この医師一人と看護士が二人。忙しさに腹を立てる暇もなく、薬や包帯を手に動き回っている。
サキはベッドの横で、神の右手を握る。神は眼を閉じているが意識はあり、時折、サキと言葉を交わした。
医師達の足音。私兵達のうめき声。器具の触れ合う音。そしてヘリ自体の音……。ざわめく数々の音は、途切れることはなかった。
出血が止まると、痛み止めの注射と、リンゲル液の点滴が始まった。
「骨折しているだろうが、銃の傷自体は、それ程ひどくない。心配なのは、出血の方だ。体力も落ちているし…」
安静に寝ていても、息の乱れがある。前より、顔が青い。
「もう少し…がんばって……神」
一秒でも早く！ サキは神の右手を強く握りしめた。
「おまえの…握力は……相変わらず……強い…な……」
途切れ途切れのジョークは、サキには、とても痛々しく感じられ、苦笑いで返すしかなかった。
ヘリは東京上空へ入り、やがて警察病院の上空を旋回し始めた。屋上に正式なヘリポートが無いため、ギリギリまで下降し、ホバリングで緊急度の高い数人を先に降ろした。残りは警視庁本部の屋上へリポートで降ろされ、待機していた救急車で警察病院まで搬送という形になった。
警察病院では、すでに受け入れ態勢が整っていた。梁山泊から発せられたムウ＝ミサの報告は各所に伝えられ、警察病院に救急医療が割り当てられた。病院側は政府から依頼を受けた時点で、直ちに院内を封鎖し、外来患者の診察は打ち切られ、入院患者も緊急事態により外出禁止になっていた。職員も正規以外は“事情により”病院外に出され、何か起きたことはわかっても、“何が起きたのか”漏れないように、細心の注意が払われた。
それでも、どこからか情報は漏れるもので、詳しいことはわからないが“何かある”と嗅ぎ付けたマスコミが、建物の外を取り巻いていた。
「外部シャットアウトじゃ、取材に来てくださいって言ってるようなもんだよな」
「問題は、さっきのヘリだな。陸自の大型医療機と見たが？」
「大型の割には降ろした数は少なかったみたいだが。しかしなー、ホバリング状態で降ろすなんて」
「俺が聞いた話だと、この前の『大停電』と関係あるらしいぜ」
「あの信楽老とかいう、じいさんか？」
「それに、ほら、例の学生刑事とかも」
「そいつは、良いネタだ！ 部数が伸びるぞ」
初期情報が少ないので、ライバル心は持ちつつ互いの情報を交換しあって、スクープを確保しようと粘る、新聞社の記者やTV局報道部の人間達。何か動きは掴めないかと知恵を出し合っていると、救急車のサイレンが段々大きく近づいて来ていることに気づいた。
一方、院内では修羅場の救急医療が始まっていた。神を含め、屋上で降ろされた患者達が次々と医師や看護婦達の処置を受けていた。予め、負傷者の人数や、状態などが報告されていたので、出勤可能な職員達を総動員させて、程度の重い者から順に、テキパキ治療していく。
ストレッチャーに乗せられた神は応急処置室で手術着に着替えさせられ、麻酔を打たれて手術室へ。付き添って来たサキも、ここで一旦、神から離れる事になった。関係者以外立入り禁止の手術室は、神を収容すると扉を固く閉ざし、やがて「手術中」のランプをつけた。サキは廊下のソファに腰を下ろし、両手を組んで、無事に終わるのを祈った。
忙しく目の前を行き交う病院の職員達に交じって、暗闇警視が姿を現したのは、手術が始まってから、一時間ほど経った頃だった。
「黒メガネ！ どうして、ここへ？」
「おまえ達の『身元引き受け』に来た」
警視はソファに座るサキの横に、同じように腰を下ろした。
「身元…引き受け？」
サキは警視の方へ身体ごと向き直り、怪訝な顔で言葉を確かめた。
「政財界の『陰の黒幕』の事は、庶民には知られたくないそうで、苦々しくも『国家機密』となった。関係者は全て、取り調べを受ける事になっていたが、私の監督下に置くという条件で、おまえも、神も、美鈴も『釈放』してもらった」
声のトーンは、いつもと変わらないが、サキは感じ取っていた。直接は見られないが、たぶん、メガネの奥の瞳は、静かな怒りで満ちあふれているだろうと想像する。
「そうだったのか…。美鈴、無事だったんだね。良かった」
「ああ。傷口が開いて、入院になったが」
サキは胸を撫で下ろした。同時に“もしかしたら”の思いが、頭をもたげた。美鈴が無事なら!?
「じゃあ…母さんの事、知らない？」
サキの“期待”と、暗闇警視の“答え”は、違っていた。
「梁山泊に、いたんだ…。あたし、母さんと闘った。その後、あたしは信楽老を追いかけたから、どうなったのか分からない。脱出できたのかどうか…。だから美鈴が助かったのなら、もしかして…って思って」
「そうか…。分かった。調べてみる」
「それと、調べついでに、もう一人、探してほしい」
無理を承知の上で、サキは言ってみた。
「内閣調査室の、ムウ＝ミサという男を……」
案の定、暗闇警視は難しい顔をした。
「内調室？ 調べてはみるが……」
国家機密でピリピリしている“お偉い方”が、それに関わった“影の者”を、容易に漏らす訳がない。
「それより、神は、まだ？」
「うん。中……」
サキは手術室を顧みた。閉ざされた扉、消える気配のない「手術中」のランプ。時間だけが、素通りしていった。
暗闇警視は、しばらくサキと一緒にソファに座っていたが、呼び出しを受けて行ってしまった。再び一人になったサキは、不安と闘いながら、手術中の赤いランプが消えるのを待った。
ドキン、ランプが消えた。緊張の瞬間。サキの体は震えていた。
執刀医が廊下へ出てくる。サキはソファから素早く立ち上がると、小走りに執刀医の側へ駆け寄った。
「先生、神は？」
「手術は成功です。肩の骨折も、リハビリ次第で元通りになるでしょう。ただ、肉体的にも精神的にも極度に疲労しているので衰弱が著しく、今夜が峠だと思われます。輸血による拒絶反応も心配です。勿論我々も全力を尽くしますが……」
本人に生きる意志があれば必ず助かる、と付け加えて、医師は去った。
口元に酸素吸入、腕には点滴の針。手術室から運び出された神は、集中治療室へ移された。隣のナース室には、二人の看護婦が詰めていて、容体を監視している。
ナース室からガラス越しに見る神は、弱々しかった。まだ麻酔が効いているせいもあるがピクリとも動かず、ベッドに横になっている。ポリグラフのモニター音だけが、規則正しく、静かに響いていた。
時計の針は進む。サキは看護婦が持ってきてくれた折りたたみ椅子を、邪魔にならない部屋の隅に広げて座っていた。手術室から運ばれてきて、どのくらい経っただろうか。麻酔は切れているはずだが、神は目覚めない。
看護婦達は必要以上には話さず、定期的にモニターの数値チェックや、点滴の落ち具合、繋がれたカテーテルの確認などをして、異変が起きたらすぐに対応できるように準備していた。
生理現象を催して、サキは看護婦に一声掛けてナース室から出た。こんな時でもトイレに行きたくなるのは生きている証拠だよな、感謝しなくちゃ、と手を洗いながら鏡に映った自分の顔をながめた。疲労の色を隠しきれな、やつれた顔がそこにあった。しかし…、神のことを思えば、自分の疲れなど……。
ナース室に帰る途中で不意に、サキは肩をポンと叩かれ、振り向いた。ヘリに乗っていた医師だった。
「彼氏、助かったんだって？ 良かったな」
医師の顔は、ニコニコ笑っていた。
「君達の事が気になってね。私の方も一段落ついたんで、様子を見に来たんだ」
照れくさそうに、頭をポリ。サキは思わず、クスッと笑みをこぼした。
「君も、顔が青いぞ。休んでないんだろう？ 心配だろうが、少し横になった方が良いぞ」
「でも……」
「我々スタッフを信じなさい。何かあれば、すぐ知らせるから」
医師とやりとりしながら、一緒に集中治療室の前まで来た時、サキは嵐に巻き込まれた。
「いたいた！ 麻宮サキさん、でしょ？」
どこから入り込んできたのか？ マスコミ連中が、サキ目掛けて突進してきた。病院上空で降ろされた重傷者に続いて、救急車で搬送されてきた患者の治療で混雑する病院内。職員達が忙しさに気を取られている隙をねらっての進入だった。カメラのフラッシュが光る。
「あなたが…」
「抜け駆けはズルいぞ！ 『うりよみ』さん！」
第一陣の「うりよみ新聞」に続いて、次々と記者やレポーターがサキの回りを取り囲む。
「あの『地鳴り』を引き起こした、張本人だそうですね？」
「信楽老との関係は？」
「やはり『学生刑事』としての『仕事』だったんですか？」
矢継ぎ早の質問。絶え間無いフラッシュ。状況が把握できずに呆然とするサキをかばって、医師が怒鳴る。
「ここを何処だと思っている！ 病院だ！ しかも、重病人が入っている、集中治療室の前だ！ これ以上続けるなら、しかるべき処置を取らせてもらう！」
すかさず、一番最初に来た「うりよみ新聞」の記者が、言葉荒く息巻いて言う。サツが怖くて、ブンヤがやってられるか！と。治療ではない異質の騒ぎに気づいた看護婦が、他の職員に連絡する。
「どうなんですか？」
「ねえ、麻宮さん」
サキを中心に、嵐は大きくなるばかり。対処に困っていたところへ、低く透る声がした。
「君達の『用』は、ここには『無い』よ。お引き取り願おう」
群がるマスコミの人間を割って、ロマンスグレー頭の、初老の男性が現れ、サキの前に立った。白衣を着ている。
「院長……」
医師は一歩、身を引いた。
「俺達は『真実』を報道したいだけだ」
「何の真実ですか？ この方は、事故に遇った婚約者に、付き添われているだけですよ」
「事故ぉ？ じゃ、あっちの戦闘服みたいな黒服を着た男達は何だ！」
「地震で怪我された方々です。山奥でしたので、ヘリで直接、こちらへ運ばれてきた訳です」
「地震？」
そんな馬鹿な、と記者達が顔を見合わせ、一人が「ゴマかすのは…」と言いかけたところで、各自のポケベルが殆ど同時に、ピーピーと合唱した。
「大丈夫。君達のことは、書かれないよ」
サキの耳元で医師が囁く。どういうことか？ サキは聞き返したが、ニコニコするだけで、医師は答えてくれなかった。
記者達は、ポケベルを無視する訳にはいかず、仕方なく、自然解散。
「麻宮さんだね。君達の事は、暗闇警視から聞いているよ。嫌な思いをさせて悪かったね」
「いいえ。それより、助けていただいて、ありがとうございました」
サキは深く一礼して、院長を見送った。そして隣の医師にも礼を言う。
「いやいや、礼には及ばないさ。医者として、許せなかったんでね。さっ、行こうか？」
医師はサキを休ませようと、別室へ連れて行こうとしたが、サキは首を横に振った。
「あたし、やっぱり、神の側に付いています」
ナース室のドアを開けかけて止め、サキは医師の方を振り返る。
「あたし、まだ、先生の名前、聞いてなかった」
「私の名前？ 妹尾だよ、せ・の・お」
「せのお先生…色々と、ありがとうございました」
サキは深々と頭を下げると、中へ入っていった。
妹尾医師は軽く右手を挙げ、ニコッと笑顔でサキに返事を返すと、親友の事を思い出した。
「あいつが惚れたのも、無理ないかな。でもなぁ。ライバルを助けたんだ。絶交かな……？」
ハハッと笑って、妹尾医師は帰っていった。
夜も更けて、病院内も落ち着きを取り戻した。信楽老の私兵達は治療が終わると、手術を要した数名を除いて、どこかへ護送されて行った。後はサキと神と、別の部屋にいる美鈴だけが、梁山泊からの関係者だった。
担当医の許可を得て、サキはベッドの横で神に付き添う。神の右手を握って。妹尾医師が言ったように、サキの顔色は悪かった。肉体的にも精神的にも、相当疲れているのは確かだったが、それよりも、ベッドの横で神の手を握り、意識が回復するのを待ちたかった。
今のところ容体は安定しているから、このままなら、峠は乗り切れる…と担当医は言うが……。
再び、暗闇警視が顔を見せた。神に付き添うサキの横に来て、無言で首を横に振る。
「調べてみたが…ダメだった」
総て「ノーコメント」だという。予想していた答えに、サキは溜め息をついた。
「ありがとう。無理言って、悪かった……」
「役に立てなくて、すまんな」
暗闇警視は、自分の“力の限界”を詫び、青い顔のサキに、休むように勧める。
「神が気が付いた途端、おまえが倒れたりしたら、笑うに笑えんぞ」
「大丈夫だよ。こうしている方が、落ち着くんだ」
両手で優しく、でもしっかりと包み込むように、神の右手を握ったまま、サキは青い顔に笑みを浮かばせた。
深夜。疲労の限界には勝てなかったようで、いつの間にか、サキは眠り込んでいた。気づいた看護婦が、サキの背中に、タオルケットを掛けてくれた。
夜明け。ブラインドの隙間から、朝日が洩れる。サキは、頬に触れる“何か”の感触で目を覚ます。パッと身を起こして、寝ていた間に離してしまった神の右手を、再び両手で強く握る。
「神！ 気が付いたの？ 神！」
サキの行動に気が付いて、看護婦がナース室から飛んで来る。
「どうしました！？」
「動いたんだ！ 神の手が、動いたんだ！」
仮眠していた担当医が、大急ぎで呼ばれた。
＜つづく＞