そうだったらいいのにな Episode 1「闘いの果てに」～２：母と娘～
麻宮ナツは爆発を避けながら、梁山泊の中をサキを探して、さまよう。
「あの子は、きっと来る。この騒ぎだって、多分…」
サキに対して “母という事実” を捨てたナツは、積年の恨みを晴らすために、信楽老に付いてここまで来ていた。
エレベーターの入り口付近を通りかかった際、階数を示す数字のランプが点滅し、エレベーターが下へ下へと動いているのに気が付く。
「誰か、来る？」
もしかしたら、サキかもしれない。エレベーターを止めようとナツは、上下の矢印ボタンを、ガチャガチャ何度も押した。エレベーターは止まり、スゥーと扉が開く。
「信楽老！ それに碧子さん」
「あなたは、サキの母親！ 何故ここに！？」
碧子が動揺した一瞬の隙をついて、信楽老は碧子の手から拳銃を叩き落とし、素早く自分の手に拾い上げると、サッとエレベーターから降りた。
「良いところへ来てくれた。奴は、もう仲間ではない。敵だ！ 始末を頼むぞ」
勝ち誇った顔で、ハハハ…と笑い声を上げ、信楽老は走り去った。
「待ちなさい！ おじいさまっ！」
追いかけようとする碧子の前に、スッと立ちはだかるナツ。手には、ヨーヨーが握られていた。
「碧子さん。あたしは、あんたに恨みはないが、信楽老には恩があるからねぇ。悪いけど、覚悟してもらうよ」
ナツの手からヨーヨーが放たれた。
エレベーターの前で、倒れている碧子と一緒に、側に転がるヨーヨーを見つけた時、サキの脳裏に “黒い影” が横切った。
「碧子、しっかりしろ碧子！」
「サキ……、やはり…来たのね……」
サキに抱き起こされ、ゆっくり眼を開ける碧子。
「あなたのお母さんて、強いわね。あなたのニセ者に化ける時、手ほどきを受けたけれど…だめね、とても歯が立たなかった……」
碧子は、フフッと苦笑いする。息が荒い。
「信楽老は……ここより、もう少し下の…一番奥に有る、コントロール・ルームにいるわ……」
震える手で、その方角を指す。
「ねえ…サキ。今度生まれ変わったら…『真の友』として、出会いたいわ。麗巳と…三人で……」
碧子は一度、肩で大きく息を吸うと、一拍おいて、スゥーっと息を引き取った。
「碧子ーっ！」
サキの眼に、涙があふれる。幾度目だろうか。こうして、友を見送ったのは。碧子の亡骸を強く抱きしめ、別れのあいさつをするサキの背中をにらむ人影。その気配を感じ取ったサキは、予期していたことが本当に起こってしまったことを呪った。
「待っていたよ。サキ！」
背後から聞こえる懐かしい声。それは憎悪と殺気に満ちあふれた低い声だった。
「母さん……。どうしても、やり合わなければ、ならないの…か？」
「当たり前だ！ 美幸をこの手に掛けた恨み、晴らさせてもらう！ おまえさえ居なければ……、おまえさえ居なければ！ 美幸は死なずに済んだんだ！」
ナツの右手にギュッと固く握られたヨーヨーが、鈍く光る。
「それは、逆恨みというものだぞ！」
「神！」
母と娘の哀しい対立に、見るに見かねた神が割って入る。
「整形手術で顔を変えられていたとはいえ、貴女は自分の娘が分からなかった！ 溺愛していた『自分の娘』だとは、分からなかったではないか！」
ナツの脳裏に、あの時の記憶が生々しく甦る。最愛の娘・美幸を誘拐した憎い犯人＝海槌麗巳に、恨みを込めて発砲したら、それは、麗巳に顔を変えられた美幸自身だった事。そして、美幸の“最期”の言葉。
……… 姉さんだけ、分かってくれた ………
「やめてっ！ 神っ！」
「だがサキには、それが美幸さんだと分かった！ 美幸さんが亡くなったのは、サキのせいでも誰のせいでもない。貴女自身のせいだ！」
しかしナツは動じなかった。ナツには分かっていた。ずっと前から。いや、最初からかもしれない。自分の過ちだったと。実際に引き金を引いたのも、ナツ自身だったのだから……
しかし、ここで“肯定”してしまったら？ 今までサキを憎むことで生き長らえてきた自分の人生は、いったい何だったのか？
ナツは今までの“自分の生き方”を否定したくなかった。
「ひたすら憎まれ、母の愛に飢え……それなのにサキは！ 自分を産んでくれたという、たった、それだけで貴女を！」
「お願いっ！ やめて、神っ！ これは、あたしの問題…。あたしと、母さんだけの……」
手で涙を拭い、そっと、碧子の亡骸を床に寝かせると、ゆっくり、サキは立ち上がった。
「ごめん…。先に行ってて、神……」
「……」
出血の続く傷口を押さえながら、無言で神は立ち去る。サキはヨーヨーを構えると、ナツと面と向かった。
「どうした？ 怖じ気づいたのかい？ おまえから先に来なければ、あたしから行くよっ！」
ナツのヨーヨーが空を裂いて、真っすぐ、サキに向かって来た。
ビュンッ。ギューンッ。ガツーンッ。互いに向かってきたヨーヨーを、自分のヨーヨーで打ち返す。血を分けた実の母と娘の、哀しい闘い。
「だいぶ、腕を上げたようだね。でも、まだまだっ」
打ち返すだけのサキを見て、ナツは余裕の笑みを浮かべた。サキが本気で自分に向かって来るはずはない。自分に対して“服従”しか知らないサキが、刃向かう訳がない！ このまま、じわじわと痛め付けて、最後は、この手で……！ そんなナツの思いは次の瞬間、覆された。
「どうしても？ ダメなのかーっ」
サキは叫びながら、ヨーヨーを放つ。
「サキ！ おまえ……」
ナツの右頬に、サキのヨーヨーが擦る。赤く一筋、血が滲み出す。今まで一度も逆らった事のない娘が、生まれて初めて、母に牙を向けた。呆然と立ち尽くすナツの腹部に、サキのヨーヨーが食い込む。
「ごめん、母さん。今のあたしには、こうする事しか出来ないんだ。無意味に殺されていった仲間達のために、信楽老を倒すまで、あたしは死ねない！」
サキの頬を、また涙が伝う。腹部に受けたヨーヨーの衝撃で、ナツはその場に倒れ込み、低いうめき声を出す。
「早く逃げて、母さん。梁山泊は…存在してはならない、悪の巣だ」
サキはナツに背を向けた。
「ＴＶ局で、ヨーヨーを投げて渡してくれたの、母んだろ？ ……ありがとう…………」
グッと前を見据えたサキは、背中越しにナツに礼を言うと、振り返らず駆け出した。
「サ…キ……」
ナツは薄れゆく気の中で、サキの後ろ姿を見送るしかなかった。
＜つづく＞