公衆電話を見つけた神は、渋滞で混雑する状況でその行動を取るのは、あまり歓迎されないと思ったが、早めに左のウィンカーを出し、ぎりぎり寄れる所まで左に寄せて、車を路肩に停車させた。
「事務所に電話してくる。待ってろ」
急いで車から出て電話ボックスに滑り込み公衆電話の受話器を取って小銭を何枚か投入した。ピ、ポ、パ、ピ、ポ……トゥルルル……、3回コール音を聞いたところで、相手が出た。
「美尾か？ 私だ」
受話器の向こうは、事務所で待っている美尾だった。
「そういう訳で、今日は、こっちに泊まるから。ホテルが決まったら、また連絡する」
小銭が少なかったこともあり、神は状況を一方的に説明して、電話を切ってしまった。
「今の、神先生から？」
横でスガが首を伸ばす。美尾は、ため息をついた。
「えぇ。崖崩れで、道路が通行止めになったんですって。抜け道も渋滞していて、とても今日中には帰れそうにないから、今夜は向こうで泊まるそうよ」
「それじゃあ、何のために迎えに行ったんだか、わかりませんね」
昨夜遅く、サキから「事件は解決した」と連絡があった。夏休み中で、今のところ次の事件は回って来ていない。神は、日頃の労をねぎらう意味でドライブ旅行を思いつき、今朝早く事務所を出てサキを迎えに行ったのだが……
昼過ぎまで遊んで帰路についたところ、先日の台風で地盤が緩んだのか、途中に崖崩れが発生して帰り道を閉ざされた。神は一つだけ抜け道を知っていたが、誰も考えることは同じで、車の長い列が出来上がっていた。次第に外は夕闇始め、あきらめた神は車をＵターンさせた。
「そうよねぇ、迎えに行った意味が無いわねぇ。とにかく泊まる場所が決まったら、また連絡するって先生おっしゃったけど。見つかるかしら？」
「まさか、ラブホテルじゃないでしょうね！」
スガの目の色が変わる。
「まさか！ とは思うけど……。電話があったら、問い詰めてみましょう！」
クシュン。神は、くしゃみをした。
（風邪でもひいたかな？）
電話ボックスにおいてある職業別電話帳や電話局のダイヤルサービスで、近くのホテルを捜し出し、やっと一軒見つけた時は、とっぷり日は暮れていた。
「おまえは、車の中で待ってろ」
部屋が無ければ、次を当たらなければならない。すぐ行動に移れるようにサキを車に残し、神はホテルへ入って行った。
「いらっしゃいませ。御予約ナンバーとお名前をどうぞ」
「あいにく予約はしていないんだが、崖崩れで帰れなくなってね。シングルふたつ、空いていないかな？」
「かしこまりました。少々お待ちください」
フロントマンは、カウンター後ろの、コンピューターの端末機を操作する。
「申し訳ございません。シングルは満室でございまして、ツインがひとつ、空いているだけでございます」
うっ。神は言葉に詰まった。
（ツインが、ひとつぅ～!?）
「どうなさいますか？」
「……連れは女の子でね。出来れば、別々の部屋が良いんだが」
「そうでございますか…。では、別のホテルに、問い合わせてみましょう」
フロントマンは、外線電話を取ると、三カ所に電話をする。が、いずれも「ＮＯ」の答えだった。
「やはり、崖崩れの影響で、急なお客様が多いそうで……」
うーむ。軽く1分は考え込み、神は決断する。
「……仕方ない。お願いしよう。手続を頼む」
「はい、かしこまりました。では、こちらに御住所と御名前を」
差し出された宿泊登録カードに記入しながら、非常事態だ。仕方ないんだ！ と神は自分自身に言い聞かせた。
「それでは、前受金と致しまして、三万円をお願い致します」
神は内ポケットから財布を出すと、聖徳太子を三枚、フロントマンに手渡す。
「はい。確かに、お預かり致しました。チェックアウト時に精算して、残高が有れば、お返し致します」
フロントマンは、棚からキーを一つ取って、宿泊カードと共に、神に渡す。
「お部屋は、５階の520号室でございます。どうぞ、ごゆっくり」
にこやかに「ごゆっくり」と言われても……。神は、複雑な思いだった。
「連れは車の中で待っているから呼んでくる。キーは後で受け取るよ」
そう言って神はサキを呼びにホテルの外に出た。
（あいつ、何て言うかな……）
ここで泊まるぞ、と言葉を最小限に車から荷物を取り出した神は、以後は黙秘権を行使してサキをホテルへ連れて行く。そんな神の態度にサキは不審を持った。
「何だってぇ？ ツイン？ ってことは、同じ部屋ぁ？」
520号室に入って事実を知ったサキは、暴れだす。
「聞いても何にも言わないから、変だと思ったら！」
「仕方なかったんだ。私だって初めは断ったんだぞ！ 親切にもフロントマンが他のホテルに聞いてくれたが、崖崩れで、どこも満室だそうだ。ここが空いていたのは、言わば奇跡だ」
確かに奇跡かもしれない。神は520号室獲得までのことを、ありのままに話した。
「ベッドは、別々なんだし…」
「そういう問題じゃない！ フロントに掛け合ってくる」
「だから、ここしか空いてないと言っているだろう！ 嫌なら野宿をするんだな」
「野宿の方がマシだね！」
本気で部屋を出ようとするサキを、ドアの前で制止する神。
「野宿するなら私の方だ。私は紳士だからね、少女に野宿なんかさせない。それに、おまえの保護者でもある。間違っても……」
言いかけて神は気付き、言葉を呑んだ。何を言いかけたんだ自分は。そう、保護者だ。自分は、この少女の保護者……
「間違っても……って、なに？ え？ だいたい、いつも大人は子供のためだと言って……」
非常時だから仕方ないと頭では理解していても、なぜか納得できずにサキは神に突っかかった。それからしばらく２人で言い合って、最終的にはサキが折れた。
「シャワー浴びるから、出てって。鍵、置いてね。覗かれたら困るから」
「そんなこと、しないって」
「口じゃ、何とでも言えるもんねーっ」
追い出された形で、神はロビーまで降りて来た。
（着替えが欲しいな。そうだ！ 電話！）
フロントで近くのコンビニエンスストアを教えてもらい、独り寂しく歩いて行く。２週間も泊まりがけで事件を調査していたサキは、当然ながら着替えを持っていたが、神は手ぶら。下着や靴下、ひげ剃り用カミソリなどの小物を調達して、おつりで小銭が出来たので、コンビニ前の電話ボックスから事務所に掛ける。１回目のコールが終わるか終わらないかで、美尾が出た。
「先生ですねっ？ まさか、ラブホテルじゃないでしょうね？」
「みっ、美尾っ！」
開口一番、突っ込まれるとは予想せず、神は度肝を抜かれた。
「この電話が私からだと当たったからよかったものの、もし違ったら、もし依頼者からだったら、どうするんだっ！」
「ご心配なく。先生からだと確信していましたもの。それで、どうなんです。ラブホテルなんですかっ？」
「ちっ、違う。普通のホテルだ！」
さすがに、ツインルームとは言いづらい。内ポケットに突っ込んであった宿泊カードを出して、ルームナンバーとホテルの電話番号を教える。それらを書き留めた美尾は何の疑いもなく、サキのことも聞いた。
「サキさんの部屋は、何号ですか？」
ギクッ。痛いところを突かれた。神は早口で、舌を噛みそうなくらい早口で伝えた。
「同じだ。小銭が少ないから切るぞっ」
何か聞かれる前に切る！ 言い終わるか終わらないうちに急いで受話器を置いた。もしかしたら語尾が切れたかもしれないが、とにかく報告はした。したんだから文句は言わせないぞ、っと神は開き直って、コンビニの袋を引っつかんでホテルへ駆け出した。
受話器の向こうから聞こえたその言葉に耳を疑い、美尾は聞き返した。
「同じって、先生！ どういうことなんです？ 先生！ って……先生？ 先生！ んもうっ、切れちゃった」
受話器を置いて、信じがたいといった顔で、美尾はスガに意見を求めた。
「ねぇ…『同じ部屋』って、どういうことだと思う？」
げっ！ スガは、びっくりして、目が飛び出た。
「や、や、やっぱり、ラブホテルなんですよ！」
「でも先生は普通のホテルって……」
しばらく事務所内は無言になった。スガは静かに嫉妬の炎を燃やし、美尾は急いでホテルに電話して真相究明に当たろうかと考えていたが、明日になれば帰ってくるのだから、と思い直した。２人は顔を見合わせて、少し引きつった笑顔で頷きあった。
「帰って来たら『裁判』ね」
「そうですね、きっちり『裁判』しましょうね」
美尾とスガは固くスクラムを組んだ。
（ラブホテルか…そっちの方が、安上がりだったかかもなぁ……）
どうせ一緒なら……神の脳内に少しばかり後悔の念が浮かんだが……？
（いやいや、それはいかん！ それは倫理上許されない！）
即座に否定し頭をブンブンと振って見せた。小声で歩きながらの行動だったので、すれ違う人は怪訝な顔をしたのは言うまでもない。
部屋に帰ってみると、シャワーを終えてホテルの浴衣に着替えたサキが、髪を乾かしていた。湯上がりの女は色っぽいと言うが、まさに、色香が漂っている。大人のそれとは違う少女なりの、ほんのりとした色香に神は思わずゾクゾクッとして、もう少しで大人の男の「生理現象」に陥るところだった。邪心を払いのけようと、身震いひとつ。
「どこに行ってたの？」
自分が追い出したことは忘れて、サキは聞く。
「私は着替えを持っていないんでね。近くのコンビニで調達して来た。ついでに、事務所にも連絡しておいたから」
「誰が出たの？ 美尾さん？ スガちゃん？ 突っ込まれただろ」
「ん…ん。まあ…な」
神はコンビニ袋をテーブルに置いて背広を脱ぎ、ハンガーに掛けた。すぐにでも美尾から確認なり抗議なりの電話が掛かってくるのではないかと心配していたが、今のサキの様子だと、どうやら何も無さそうだ。上手く騙せたと思った神はホッとして安堵の深い溜息をついた。
「それより、おなか空いたよ、何か食べたい！」
「わかった、わかった。ルームサービスを頼もう」
料理が来るまで30分程かかるとのことで、今度は神がシャワーを浴びる。
「見るなよ」
「誰が！」
ボリュームのある物が食べたいというサキのリクエストで、カツ丼定食。それとビールにおつまみ。
「いただきまぁーす。う～ん！ 夏の夜は、ビールに限るね！」
グビ、グビ、グビッ。豪快ないい飲みっぷりを見せるサキ。
「おいおい、あんまり飲むなよ。おまえはまだ未成年で、ここは事務所じゃなくて……」
「堅いこと言わないのっ」
根底には数年前の豪雨があり、そこから歯車が狂いだして、誰もが理不尽に思うだろう結末だった事件のこと。そこで出会った犯人を含む学生たち、取り巻く大人たちの汚さ。その中にあって唯一救われた、いつも笑顔のおばあちゃんの話。人を疑うことなんて知らないような、品があって穏やかな優しいおばあちゃんに癒されたことなど、アルコールも手伝ってサキは饒舌に神に語る。時々相づちを打ちながら聞き役に徹する神。
なんだかんだと食べて飲んで、時々愚痴も混ざった、でも笑いの絶えないディナーは、２人の胃だけでなく心も満たした。
洗濯物はホテルのランドリーに預けたから、明日の朝、きれいになって返ってくる。あとは事務所へ帰るだけだ。
「さて、夜更かしは明日の朝に響くから、そろそろ寝るか？」
神の言葉に、ドキンッ。なぜかサキの胸が高鳴った。
（いやだ！ 心臓が、ヘン…）
ビールでピンク色のサキの頬が、さらに赤みを増したように見えた。追い打ちをかけるように神が浴衣を脱ぎ出した。
「なっ、何で浴衣脱ぐんだよっ！」
「私は寝る時は、いつも裸だ」
習慣とはいえ神も内心、浴衣を脱ぐことを少しばかり気にした。いや、抵抗があったと言った方がいいのか。
「あっ、そう……」
サキは素っ気ない言葉を返して、すぐに顔を背けたが、妙に神の裸の体が生々しく目に焼き付いてしまい、ドギマギしていた。ぎゅっと目を瞑っても脳裏にチラチラと逞しい神の胸が再生される……
ディナー前の取り決めで、咄嗟の場合でも部屋の外に飛び出せるように、サキはルームキーを持ってドアに近い方のベッドを占拠していた。気配で神がベッドに潜り込んだことを感じ取ったサキは、着ないなら……と思いついて、一応神の許可も取って、浴衣の紐をベッドとベッドのちょうど真ん中辺の床に置いた。紐を利用した境界線。
「ちょっとでも出たら、ヨーヨーでグルグル巻きだからね」
とサキは、ヨーヨーをチラつかせる。
「はいはい、充分わかった。おやすみ」
神はサキに背を向けて更に深くベッドに沈み込む。サキも手元のリモコンで部屋の明かりを消すと、同じように神に背を向けて横になった。しかし……
サキの胸は高鳴りっぱなしだった。消そうと思っても再生される神の裸。心臓の音が部屋に響いているんじゃないかと心配になるくらい、サキの胸は高鳴っていた。
神も平静を装っていたものの、脳裏に湯上がり姿のサキがチラつき、再び頭をもたげた生理現象と長く戦っていた。
相手に悟られない様に互いに必死で気分を落ち着かせようとして、翌朝を迎えた。
気付いたときには朝になっていた。
（んー、なんかよくわからないけど、眠れたみたいだな。それも熟睡！ 気分爽快！）
サキは起き上がって伸びをする。で、隣のベッドに気づく。
（そうだ、一緒の部屋だったんだ！）
慌てて寝乱れた浴衣を正す。このまま起きて洗面所へ行くか、神が起きるまで二度寝しようか、とゴソゴソしていると、神も目を覚ました。
「おっ、おはようっ。よく眠れた？」
神も上体を起こし伸びをする。掛け布団がずり落ち、神の逞しい胸が再びあらわになった。また不意をつかれた形のサキは慌てて顔を背ける。
「ああ、久しぶりに熟睡した感じだ」
「いいけどさ、レディの前で何度も裸をさらけ出すなよ」
「おや？ 誰がレディ？」
酷いなー。いやいや本当のこと。たわいもない会話を交わしながら神は浴衣を羽織ってテレビのスイッチを入れ、ニュース番組を選択してから洗面所へ。サキはベッドの上でニュースを眺める。相変わらずどこかで事件や事故が起こっている世の中。
２人ともなかなか寝付けなかった昨夜。なのに、何故、こんなに目覚めが爽やかなんだろう……？ サキも神も理由が分からない。かといって「こういう訳で、なかなか寝れなかったのに、熟睡出来たのは何故？」とは、互いに言えない聞けない。
結局、アルコールの力だと各自で答えを出したために、どちらも真相には気づかなかった。お互いが心の奥で「信頼」しあっているため、寝付きが悪くても熟睡できたという真相に。いや、気付く以前に思いも寄らなかったというのが正解かもしれない。
深い眠りは肉体も精神も疲労から解放してくれる。非常事態が皮肉にも功を奏し、心身共にリフレッシュできたサキと神だった。
「さて、今日も多少混むだろうから、まぁ、ゆっくり帰るか」
「その前に、朝食ね。おなかペコペコ」
「昨日あれだけ食べたのにか!? 健康な証拠だな」
ランドリーから返ってきた洗い上がりの服に身を包み、まずは朝食へと、２人は部屋を出た。
今は平和な朝。しかし帰れば、恐怖の「裁判」が待っていることを神は知らない……
＜終わり＞
WEB初出。季節は夏、それ以外は何も考えてない、夏休み中の事件後の一コマ。思いっきり昭和な話です。