そうだったらいいのにな Episode 17「上手（うわて）な彼女」
上司に呼び出される時は、新しい仕事の時と決まっていた。つい先日、フィリピンから帰国したところなのに、日本のスパイ組織も人使いが荒いな、とムウ＝ミサは仏頂面で上司の前に立った。
「仕事といえば仕事だな。いや、仕事だ、と断定しよう。そうでもしないと……」
ムウ＝ミサは、上司の口から出た話の内容に、ただただ、呆然とした。
「良いな？ 胸に赤いバラだ。忘れるな！」
「俺の意思は、どうなるんですか？ 勝手にお膳立てされて、はいそうですか、と素直に俺が行くとでも？ しかも明日！ 今日聞いて明日行けって、そりゃ随分と無茶な、いや、滅茶苦茶だ！」
「断るのは以ての外。かといって、すっぽかしでもしたら、只じゃおかんからな」
抗議は無視された。どう足掻いても無駄のようだと悟ったムウ＝ミサは渋々と折れた。
「……会えば良いんですね、会えば。しかし何で、俺を名指しで」
「それは私が聞きたいくらいだ。東都医大といえば、内調室とも浅からぬ縁なのは確かだがなぁ」
東都医大と聞いて、真っ先に一人の人物が脳裏に浮かんだが、奴と今回の話との接点が思いつかない。それに、奴が絡んでいたとしても、なぜ自分が指名されたのか？
自分の机に戻ってきたムウ＝ミサに、隣で資料整理と称して水着のグラビアを切り抜いていた同僚は、今までで一番不幸な顔をしているぞと親切に忠告してくれた。
うーん。ムウ＝ミサは電話の受話器を取った。が、すぐに戻した。2～3分たって、もう一度、受話器を取って耳に当てたが、そのまま戻した。更に5分たって受話器を取り、片方の手の人差し指を出したところで戻し、更に更に10分たって、ようやく意を決したのか受話器を取ると外線ボタンを押した。
翌日は秋晴れの澄んだ青空が広がり、絶好の行楽日和だった。
開園から1時間は経っているが、続々とウォルターランドの正面ゲートには人の波が寄せ、入園の列を作っていた。家族連れを中心に、若者カップルや修学旅行の生徒、熟年夫婦など様々な年齢層に、TOKYOウォルターランドが国民的テーマパークなのを物語っていた。
「平日なのに、こんなに人がいるんだ！」
動きやすいように、パンツスーツタイプのマタニティ服、背中には小型リュックの格好で、初めてウォルターランドにやってきたサキは、想像以上の人の多さに目を丸くしていた。
待ち合わせの時間は、10時半。場所はチケット売り場から向かって右の、外部インフォメーションセンター前。ムウ＝ミサはチケット三人分を片手に、もう片方の手で“こっち、こっち”とサキを誘導しながら、待ち合わせ場所へ移動していく。
「あれ？ チケット三枚に見えるけど、あたしの目の錯覚？ それに入園の列は、あっちだよ。並ばないの？」
今日の“本当の目的”をまだ知らされていないサキは、不思議に思ってムウ＝ミサに尋ねる。
「ちょっと、人と待ち合わせているんだ。もう少し待ってくれ」
誰かと待ち合わせ。だから三枚。だからすぐに並ばない。と順番に理解して、それが今日の“どうしても断れない用事”なのか、とサキは聞く。コクコクとムウ＝ミサは何度も頷いた。
「そこで、だ。サキ、このことは、神には内緒にしてくれ。見合いを断る口実に、お前を使ったと知れば…」
「見合い！？」
サキは目を二倍に丸くして、普段の声より三音ほど高めの声で聞き直した。
「ギリギリまで黙っていて悪かった。上司からの命令で、今日、1対1で、ある女性と会うことになっている」
ムウ＝ミサは、事の詳細を話し出した。
東都医大の教授の一人がムウ＝ミサを指名して、自分の娘と会う段取りをつけてくれと、室長宛に依頼した。そんな依頼が通ってしまうのが、裏の世界の不思議さ。やがて、その“命令”は、ムウ＝ミサの直接の上司に伝わり、昨日、上司から話があった、というものだった。
「俺には、おまえ以外の女と結婚する気はないし、第一、見ず知らずの誰かから指名されて、なーんてのは、あまり気持ちが良いもんじゃないだろ？ けれど上司からは、断るな、すっぽかすな、と。だから苦肉の策として、お前に一緒に来てくれるように頼んだんだ」
そういえば昔、三平にも“見合いをぶち壊してくれ”と頼まれ、行った先に美幸がいたことを、懐かしくも哀しく思い出したサキ。そんなサキの過去は知らないムウ＝ミサは、サキの顔に一瞬、陰りが見えたことには気付かず、正面ゲートの上に掲げられている時計を見ていた。
「はーん。そのバラは目印なんだね？ 何か、古典的というか」
今度も誰か懐かしい人に会えるだろうか？ そんなこと、あるわけない、と過去を奥にしまい込んだサキは、聞きそびれていた胸のバラを指差した。
「これも相手からの指示さ。さすがに、この俺でもムズムズする」
上司から言われたように、いつもの黒スーツの胸ポケットに小振りの赤いバラの生花を一輪挿してきた。自分で思いつく分には平気だが、他人に言われてとなると、その胸の赤いバラは、相当気恥ずかしいらしい。
そろそろ約束の時刻じゃないかな、とムウ＝ミサが左腕を少しあげて時計を見ようとしたとき、横から女性に声を掛けられた。
「ムウ＝ミサさんですね。すぐにわかりましたわ。本当にバラを付けてきてくださるなんて、感激ですわ♪」
ムウ＝ミサが想像していた女性像とは、かなり違っていたので、“はい、そうです”と答えるまでに、10秒ほどの間があった。
「初めまして、桂沢里香と申します。ひょっとして、そちらは、サキさん？ お会いできて嬉しいですわ」
上品な“お嬢様スマイル”で話し掛ける、桂沢里香とは対照的に、ミサもサキも、目を点にして、顔を引きつらせて硬直していた。
「あ、驚かせてごめんなさい。妹尾さんから話を聞きましたの」
「妹尾？ やはり、そうか。ったく、どこで繋がりが？」
ムウ＝ミサは、東都医大と聞いた時に脳裏に浮かんだ親友の顔を、再び思い出した。
「妹尾さんは、父の教え子になりますの。研究室では父の右腕として活躍してくれましたのよ」
平然と“せのお”という言葉を口にして会話する、ムウ＝ミサと桂沢里香を見て、サキは驚き、二人の間に割って入った。
「ちょ、ちょっと待って！ その『せのお』って人、医者？」
「そうですよ。もし、あなたに会えたら、現状を聞いてくるように言われたんですけれど、その分では、とてもお幸せなようですね」
桂沢里香はサキのおなかをチラッと眺め、目を細めた。
サキは桂沢里香の返答に、頭の中を真っ白にした。梁山泊からの帰りのヘリの中で世話になった、あのボサボサ頭の医者。探しても見つからず、謎の人物だったが、こんな所で！ サキは運命の数奇さに、ただただ驚くばかりだった。
「こんな所で立ち話も何ですから、中に入って、お茶にしましょう」
桂沢里香は、何故かサキの手を取ると、正面ゲートへ足を進めようとした。
「あ、チケット……」
出遅れたムウ＝ミサが、チケットをピラピラと振って、二人の後を追い掛ける。
「あら、気を遣っていただいて、ありがとうございます。でも、わたくし……」
と言って桂沢里香はウェストポーチから、1年間有効のウォルターパスポートを出して見せた。サキもムウ＝ミサも、またもや目を点にして立ち止まり、そして納得した。彼女の服装に。
動きやすい、その格好。ショートカットの髪に白いキャップを載せ、TシャツにGジャン、Gパンにスニーカー、バッグはウェストポーチのみ。そのどれもに、ウォルターランドの代表的キャラクター“ニッキームース”のワンポイントが入っていた。
「でも、せっかくですから、ありがたく使わせていただきますわね♪」
サキの分と二枚、ムウ＝ミサの手からチケットを取ると、再びサキの手を引いて、桂沢里香は正面ゲートを目指した。
暇さえあればウォルターランドに来るという桂沢里香に案内されて、カフェテリアで一服。
「以前は勤務医をしていましたの。5年くらい勤めたかしら。今は、必要に応じて父の手伝いをする、非常勤研究員ですけど、暇な時が多いので、無職というか、家事手伝いというか」
自己紹介で桂沢里香は、自分の仕事をそう言った。
「へぇー、りかさんも医者なんだ」
名前で呼んでくれと言う里香の言葉に、サキは同意して、互いに名前を呼びあう二人。同性ゆえか、波長が合ったのか、旧知の仲のようにサキと里香だけで話が盛り上がっていた。
（この女、俺に会いに来たんじゃないのか？？？）
乗り気どころか、苦痛に思っていた今日の“会合”だったが、こういう事態になって、ムウ＝ミサは心中複雑だった。
当初の予定では、おなかの大きいサキを一緒に連れて行くことで、自分には決まった女性がいて、子どもが産まれることをアピールし、せっかく来たのだからと二～三のアトラクションを三人で一緒に回ったら、そこで別れるつもりだった。
少々後ろめたい断り方だが、普通に会って断るのと理由を見せて断るのとでは、相手の納得度も違ってくるだろう。ムウ＝ミサなりの配慮だったが、あっけなく没案となってしまった。
「ええ、大学は、城北医大でしたけど」
城北医大と言えば東都医大と並び、私立の医科大学の中では上位にランクされる大学だ。ラフな格好をしても品の良さは漂ってくる。にじみ出る人柄の良さも、喋り方も、上流階級のお嬢様ならでは。それにプラス、知性と整った顔立ち。本人にその気はなくても、男の一人や二人、寄ってきそうなものだ。
それなのに、なぜ、家柄では釣り合いのとれそうもない自分が名指しで、ここに呼ばれたのか、益々不可解になってきた。女二人の会話になかなか入り込めない分、聞き役に徹して冷静に分析をしていたムウ＝ミサだったが、里香とサキが腰を上げたので、中断せざるを得なかった。
「自己紹介は、これくらいかしら。さてと、アトラクションめぐりに行きましょうか？」
ムウ＝ミサは慌てた。里香は確かに、あれこれと自分のことを話し、自己紹介は終わったのかもしれないが、自分は里香に何一つ話してないぞ！ と。
「ちょっと待ってくれ。サキはともかく、俺は自己紹介しなくていいのかい？ いろいろと妹尾から聞いているようだが」
「ご心配なく。ご想像の通り、あなたに関することは総て、妹尾さんから聞いています。あなたの、サキさんに対する気持ちも。ですから、ここでお話ししていただく必要は、ありませんわ」
ニッコリと笑顔で、かなり怖いことを口にする里香。
ムウ＝ミサは頭を抱えた。総て？ 何をどこまで、どう話したのだろうか。なぜ、この女に話す必要があったのか。今すぐにでも飛んでいって、親友を問い詰めたいと思った。
里香の医師としての気遣いに加え、同性としての気遣いもあって、一つのアトラクションを体験するたびに、20分ほど休憩していたので、昼食時間も入れると三つ回るのが精一杯だった。最後は“クルージング☆リバー”で船に乗り、正面ゲート近くの港に降りた。
「オレンジジュース、買ってきてもらえないかしら。のどが渇いて……」
里香はムウ＝ミサに頼んだ。ムウ＝ミサがジュースを買いにその場を離れたことを確認すると、里香は思い出したようにクスクスと笑った。
「広重さんの言った通りね。吹き出しそうなのを必死で我慢してたのよ、最初に会った時」
いきなりの話で、何だろう？と、サキは訝しげに思った。
「お見合いを連想させて彼を呼び出せば、必ず、サキさん、あなたを連れてくるだろうって、断言したんですよ。広重さんったら」
はぁ？ どうにも里香の話が理解できないサキは、そもそも広重というのは誰か？ と聞いてみた。
「妹尾広重さん。あなたと、あなたの彼を救った、内調特務班医療隊の人。そして、わたくしの婚約者」
ええっ？ サキの目は瞬きを忘れていた。
「婚約者と言っても、父が勝手に決めたことで、わたくしも広重さんも、その気は無いのですけどね」
何かにつけて、里香の父親は、妹尾と結婚しろと里香に迫る。30歳を越えてからは、特に。
しかし、里香も妹尾も、互いを“良き友人”としか見ていなくて、知り合ってから10年以上たつが恋人には昇進しない。
「よく聞かされるんですよ、広重さんから、ムウ＝ミサさんのこと。それで興味を持って」
里香には今のところ結婚願望は無いのだが、父親への用事で時折、研究室に顔を出す妹尾から、曰く“面白い、頼もしい、それでいて寂しがりや”な親友の話を聞くうちに、自分も会ってみたいと思うようになった。ダメもとで妹尾に相談すると、妹尾は二つ返事で引き受け、今日の日をセッティングしたそうだ。
「本当のことを言うと、もっと、ムウ＝ミサさんから、彼自身のお話を聞きたかったかな。どこまで『本当のこと』を話してくださるか、分からないけれど。だって、総て聞いてる、なんて大嘘。広重さんから聞いたのは任務に絡んだ話が多かったし、プライベートなことは、意中の人がいて、それは人妻のサキさんだということくらいしか、広重さん自身も聞いていないそうなんですよ」
自分のことは、あまり他人には話さない、話したくないタイプかもしれない。それを察して里香は自己紹介を遮ったという。
「でもね、ほんの数時間でしたけど、一緒に行動して、思いました。ムウ＝ミサさんもサキさんも、話に聞いたとおりの人だと。そして、ムウ＝ミサさんが、サキさんから別の女性に心変わりすることは、可能性としてはとても低いことも、よく分かったわ」
船出していくクルージング☆リバー号を目で追いながら、しばらく里香は物思いにふける。船の姿が、やがて小さくなり、里香はサキに目を戻す。
「今日は楽しかったわ。ごめんなさいね、わたくしの我が侭に付き合わせてしまって」
とサキの方に体を向けて、里香は右手を差し出した。
「もう、会うことはないかもしれないけれど、お友だちになってくださるかしら？ わたくしと、お友だちでいてくれるかしら？」
サキは自分も右手を出し、里香の右手を握りしめた。
「ムウ＝ミサさんにも伝えておいてくださいね。今日は楽しかった、ありがとう、と」
長い行列に並んで、やっとのことでＭサイズの紙カップ入りジュースをムウ＝ミサは三つ買った。二人の待っている港近くまで、こぼさないように細心の注意を払いながら、両手で持ってきた。
「あれ？ 彼女は？」
キョロキョロと辺りを見回す。
「帰ったよ。今日は楽しかった、ありがとう、って」
「帰ったぁ？」
里香は去り際に、自分に語ったことをムウ＝ミサにも話して欲しいと言ったので、サキはポツリポツリ、聞いたことを話した。
「何だよ、それ！ 訳がわからん！ 妹尾も妹尾だ、あいつ、今度会ったら……」
バラも、実は妹尾の策略だった。ムウ＝ミサは髪を逆立てて、今にも暴走しそうだったが、サキの“騒ぎを起こすとヤバイんじゃない？”という一言で、何とか沈静化した。
「お願いだ、サキ。神には、絶対に、絶対に、口が裂けても今日のことは喋らないでくれ！ この通りだ、頼むっ！」
ムウ＝ミサは手を摺り合わせて、サキに懇願する。
「わかってるって、はい、約束」
サキは右手の小指を出して、ムウ＝ミサと“ゆびきりげんまん”した。
「いい人だよ、りかさん。真剣に考えてみたら？」
サキは女の勘で、里香がムウ＝ミサに“特別な感情”を抱いたことを確信していた。
「俺は一生、サキ一筋さ」
一つ余ったジュースは、ミサが“うっぷ”と言いながら飲み干した。
「大丈夫か？ 体は、疲れてないか？ 気分悪くないか？」
「うん、ありがとう。平気だよ。予定通り夕食にも付き合うよ」
ショッピング☆タウンで、サキは大きな紙袋いっぱいに、お土産を買い求める。その間にムウ＝ミサは、予定通り夕食を食べてから帰ると恭一郎に連絡する。電話の向こうから、“なるべくなら早く帰ってこい”という無愛想な声が返ってきた。
秋の夜を彩るパレード、マジカル☆イリュージョンを見るために、夕方からの客が正面ゲートを越えてくる。その波に逆らって、サキとムウ＝ミサは夕闇に沈むウォルターランドを後にした。
＜上手（うわて）な彼女 ＥＮＤ＞