そうだったらいいのにな Episode 11「一期一会」
早朝から、場合によっては前夜から、全国の美容室が賑わい緊張を伴って“１分１秒を争う空間”と化するのは、成人の日の風物詩ともいえる。成り行き（？）で出席する事になったサキも、朝五時起きで、その空間に足を踏み入れた。
神の行きつけの美容室で、まずは髪を結ってもらい、数日前に持ち込んでおいた振り袖を着付けてもらう。美尾が丁寧に手入れをして仕舞っておいてくれたおかげで、新品同様の綺麗さを保っていた振袖。三平と美幸の見合いの場所に着ていった、あの振袖を。
最後に、お化粧もしてもらい、ほのかに艶っぽい、着物美人が出来上がった。迎えに来た神は、本能を押さえ込むのに苦労した。
予約してあった、いつも現像を頼んでいる写真店で、普通なら“見合い写真”にもなるだろう記念写真を撮ってから事務所へ帰り、口紅を気にしながら、用意してあった遅い朝食をパクリパクリと食べていると、もう出掛ける時間。コーヒーの残りを一気に飲みほすと、スガのチェックを受けて、ちょっと口紅を直してもらい、ショールをガバッと羽織って、車に乗り込んだ。
ギリギリ、セーフ。ぎこちない足取りで、サキは駐車場から会場入り口の受付へ歩いていく。草履で歩くことに悪戦苦闘している様子をハラハラしながら（でもポーカーフェイスで）後ろから眺めていた神は、サキが受付を済ませて会場内へ入っていくのを見届けると、ふぅ、と軽い溜息をついて、再び車に乗り込んだ。
「ここ、空いてる？」
来賓の長い祝辞が始まる頃、遅れて来たらしい女の子がサキの隣へ寄って来た。
「ええ。どうぞ」
別に断る理由もないし、サキは儀礼的に答えた。
「ありがとう」
女の子は、ドカッとサキの隣へ座った。
「あなた、ひとり？」
長い祝辞なんて退屈だと言って、女の子はサキに話しかけて来た。
「え…？ ええ…」
「あたしも、ひとりなんだ。あっ、あたし細川みちる。あなたは？」
「あ…、麻宮サキ」
知った顔などいない、区役所主催の成人式。祝辞なんて聞いていなかったが、後ろの席から眺めていると、結構おもしろい。友人同士、小声で話に花を咲かせている子。恋人同士なのか、仲良く座っている彼と彼女。赤ちゃんを抱いた子も、ちらほら見える。
ひとりでポーッと“観察会”で終わらせるつもりだったサキは、初対面の彼女から話しかけられて、まったくの予想外の展開にちょっと戸惑った。
「さきちゃんか、よろしくね。あれ？ どっかで見たような？」
細川みちるは、サキの顔を見て、何か思い出そうとしたが、諦めが早いのか別の話をしだした。
「あたし、美容室に勤めているの。だから遅れちゃって。知ってる？『ＹＯＵビューティーサロン』って」
「あの、ごめんなさい。あたし、よく知らなくて」
サキは“んなこと、言われてもねぇ”と心の中で思ったが、所詮“今だけ、今ここにいる間だけ”の事と思い、適当に相手に合わせておくことにした。
「そーお？ 全国にチェーン店を持ってる、割と有名な所なんだけど……。御夫婦で経営なさってて、あたしは奥さんの雪先生に付いて勉強しているの。まだ下っ端の、見習いだけどね。最近やっと、シャンプーやらせてもらえるようになったんだ。それまで雑用ばっかりで………」
あれこれ、ぺらぺらと一方的に、細川みちるはサキを相手に喋る。サキは時々“はぁ”とか“そうなの”と相槌を打ち、聞き流していた。
「今日は、お正月と並んで忙しい日でしょ。あたしもギリギリまで働いてて、支度が一番最後だったから、見事遅刻しちゃったって訳」
苦笑いする中に、いくらかの悔しさも感じ取れたサキは、要するに愚痴を吐き出したかったんだな？ と気付いた。来賓の退屈な話を聞いているより、人助けになる方をサキは選び、初めて自分から細川みちるに話し掛けた。有名な店なら客の数も半端じゃなさそうだねとか、大変だったね、下っ端は辛いよねとか。
それまでとは違う受け答えをしだしたサキの変化に細川みちるも気付いたらしく、さらに喋りをエスカレートさせていったが、話が家族の事に流れると、明らかにトーンダウンした。そして、ポツリと胸の内を漏らした。
「故郷は群馬なんだ。高校卒業してＯＬやってたんだけどさぁ、どうしても美容師になりたくて、家、飛び出して来たんだ。許してくれなかったからね、親は。なにせ、親父のコネで入った会社だったから、親父はカンカンでさ。わがまま言うんだったら出て行けって。そろそろ一年になるけど、手紙も電話も、一度もしてない……」
細川みちるの横顔が、寂しさに陰る。サキにも覚えがあった。心の奥底の寂しさ。でも、それを認めるのが怖くて、寂しさと向き合うのが怖くて、心を偽っていた、あの頃。
「早く一人前になりたい。一人前になって両親を安心させたい。そう思って、がむしゃらに働いてきた。寮の生活は、それなりに楽しいけど、うちの店、先輩後輩の区別が厳しいんだ。気分的に、ゆっくり休めないって感じかな。それに今日だって、忙しいのは分かるけどさ、なんで 『あたし』まで、ギリギリ一杯、働かなきゃならないのかって思ったら、なんか悔しくて腹たってさ……」
それを最後に、細川みちるは少し顔をうつむかせて、黙ってしまった。式は終盤に差し掛かっていた。司会者が祝電を読み上げていた。
「なかなか『他人』には言えないんだよね、寂しいとか悔しいとか。あたしも経験あるよ、嫌な感情を自分の中に押し込めちゃうの。でも、辛くても今も仕事を続けているのは、それでもやっぱり、美容師になりたいと思っているんだろ？ 美容師の仕事が好きなんだよね？」
サキは精一杯の励ましを贈る。
「親御さんが許してくれるかどうかは別だけど、その気になれば、帰れる場所があるんだし、大丈夫、その根性があれば、大手を振って帰れるよ。あたしみたいに、親がいなくて親戚にも無視されて、ひとりぼっちだったのとは、違うから」
出入り口のドアが開けられ、人の波が出来た。が、サキと細川みちるは動こうとしなかった。大波から小波へ、人が、まばらになるまで動こうとしなかった。
終了予定時刻の５分前に駐車場に着いた神は、サキが出てくるのを待っていた。やがて大挙して出てきた新成人の中から、サキを探すのだが、おや？ 見つけられない。まさか、退屈だとか何とか言って、途中で逃げ出したか？ いや、この後は食事だと言っておいたから、どこかに必ずいるはず。
キョロキョロと見渡し、いい加減、首が疲れてきた頃、やっと探し当てた。
「サキーっ、こっちだ、こっち！」
神は手招きをする。それに気付いたサキが、応えて手を挙げた。サキと一緒に会場を出て来た細川みちるは、誰なのかと聞いた。
「あの人、誰？ 随分とデカい女性だね」
ぷっ。サキは笑ってしまった。遠くに見える神は、長い髪のせいで“パンツスーツの背の高い女”に間違われたらしい。本人が聞いたら怒るかな？ 落ち込むかな？ サキは誤解を解き、“関係”をバラす。みちるは、びっくり大仰天。目を丸くして、声高に言った。
「なんだ！ あんただって、今は『帰れる場所』あるじゃないか！ 同情して損したぁ」
帰れる場所。みちるに言われて、サキは改めて、“今の自分”を見つめ直した。そうだよね、アハハハハ…。サキは苦笑いする。みちるは膨れっ面をして見せたが、サキの苦笑いにつられてケラケラと笑い出した。
「ありがとう。一方的に、グチに付き合わせちゃって、悪かったね。お陰で、こっちは『すっきり』したけど」
「気にしない、気にしない！ がんばって、早く一人前になって、反対した親御さんを安心させてあげなよ」
「もちろん！」
二人は人の波を横切ったり、輪を回避したりして、神のところまで来た。最初は偶然かと思ったが、最後まで二人連れ立って来たことに驚いた神は、思わず口元を緩ませた。
「こちらの、お嬢さんは？」
「こいつが、さっき話した婚約者で、神恭一郎って奴。隣の席に座っていた、細川みちるさん」
「コラッ。婚約者を『こいつ』は、ないだろう」
ツンツンとサキの額をつついた神は、みちるの方に向き直って、内ポケットを探る。
「初めまして、神恭一郎です。青山で探偵事務所を開いています。御用の際は、こちらへ」
と名刺入れから一枚、名刺を取り出して、みちるに手渡した。
「へぇー！ ホントに居るんだ。探偵サン。あたし、初めてだよ、探偵サンに会ったの初めてだよっ！」
みちるはマジマジと、名刺を眺めた。
「送っていこうか。どこまで行くの？」
サキは神の車を指さし、みちるに訪ねた。
「やっだぁー。そんな野暮じゃないよ。これからデートなんだろ？ あたしの事は、気にしなくていいから」
みちるは右手をヒラヒラさせて、ノーサンキューの仕草をする。
「また気が向いたら、お店に来てね。麻布台だから」
手を振り振り、後ずさって、道路の方向へ足を向ける。
「元気でねーっ」
「そっちも、いつまでも仲良くねーっ」
みちるは人混みの中に消えてしまった。
「こういうのが『 一期一会』ってヤツだね」
「おや。おまえでも、そんな難しい言葉、知ってるのか」
「あっ、バカにしたなぁ！ これくらい、あたしだって知ってるよ！」
口をとがらせて、サキは車に乗り込んだ。
「ごめん、ごめん。悪かった」
神は運転席に座ると、謝りついでにサキの顔をのぞき込み、軽くキスをした。
（こういうのが、一期一会なんだよね）
みちるも感じていた。サキが店へ行けば別だが、でなければ、二度と会うことはないだろう。
「んー、やっぱり、なんだか見覚えが有るんだよなぁ。あの顔、どこかで……」
妙に気になって、みちるは懸命に思い出そうとした。
「あーっ！」
みちるは大声を上げた。道行く人々が、彼女に視線を投げかける。が、みちるは気にも止めなかった。
（去年、じゃない。年が明けたから一昨年になるのか！ 一昨年の、東京大停電の時の…）
その当時に働いていた職場（＝親のコネで入ったという会社）の社員研修旅行で、東京に来ていた時に、みちるはグランドスラム作戦に巻き込まれた。宿泊先のホテルで、極秘に放送されていたＴＶ放送を見ていた一人だった。
物凄い人に、愚痴をぶちまけたものだ！ みちるは、今来た道を振り返る。車は駐車場から走り去った後だった。
＜一期一会 ＥＮＤ＞