そうだったらいいのにな Episode 1「闘いの果てに」～３：想い～
信楽老の私兵とは全く違うが、やはり武装している男達にムウ＝ミサと美鈴は囲まれていた。まだ二人とも意識を失ったままだった。男達の中でも特に体格のいい隊長らしき男がミサの肩に手をかけ、軽く何度か揺すった。その振動で、ミサは気絶から開放された。
「誰だ？ おまえ達は」
そう言うが早いかミサは素早く跳ね起き、側に倒れている美鈴を庇うように身構えた。神に打たれた鳩尾がまだ痛むが、私兵と違う格好をしていても武装した連中を前にして、刷り込まれた危険に対する反射神経が瞬時にミサを戦場という現実に引き戻した。
「額に三日月型の傷…、ムウ＝ミサだな？ 我々は内閣調査室の特務班攻撃隊だ。信楽老の私兵逮捕と、おまえの救出に来た。退去命令を無視したんだって？ 怒りでヒートアップしてたぞ、ボスが」
「誰の血圧が上がろうと、知らないね！」
気を失ったままの美鈴から離れずに警戒を解かないミサを見て、男は胸ポケットのバッジを見せた。見覚えのある紋章を確認してミサは緊張を緩めたが、その反動で激しい後悔を呼び起こした。自分の状況判断が甘く、二人を行かせてしまったこと。サキに会って気を緩めたのは、自分の方だった、と。
「我々の任務は終わった。おまえの指示した資料も、別動隊が全て押収したそうだ。さぁ、一緒に出よう」
当然ムウ＝ミサは、首を振って“ノー”と答えた。
「やり残した事があるんでね」
「暗殺命令の事か？ この状況じゃあ、無理だろう？ 無茶するな」
それまで、触れてはならない政財界の暗部に、とうとう決着を付けようと政府は信楽老の懐へスパイを送り込んだ。それがムウ＝ミサ。最終的な任務は、信楽老の暗殺。現に本部への通信で、マイクの向こうから“出来れば”という条件付きで、政府からGOサインが出たと指示を受けていた。
「任務じゃない。民間人が、まだ二人、この下にいるんだ。まっ、プライベートな事なんでね」
ほっといてくれ、喋っている間も惜しい。言っても無駄なら行動あるのみっ！ とムウ＝ミサは、気を失ったままの美鈴を先に連れていくように頼むと、サキ達が行っただろう道……コントロール・ルームに続く、下層部への階段を目指して一気に走りだした。
「待てっ！ また命令違反するつもりかっ！」
「ボスに伝えておいてくれ。帰ったら、辞表を出すからって！」
ミサは本気だった。内調室特務員になり、自ら志願してこのスパイ活動に身を投じたのは、ある“目的”のためだったが、それも殆ど達成出来た今、内調室に未練は無い。
「ったく。あのバカが！」
走り去るムウ＝ミサの後ろ姿に向かって、攻撃隊の隊長は怒鳴ったが、ここで怒鳴っていたところで、引き返してくる訳がない。とりあえず、美鈴を連れて行くように、他の隊員に指示する。
「良いな。信楽老の事は、トップ・シークレットだ。気が付いて、後で何か聞かれても、答えるな」
「了解」
二人の隊員が、美鈴を抱き上げ運んで行く。見送りながら隊長は１分考え込み、決断する。
「二～三人、俺と一緒に来てくれ。ムウ＝ミサを連れ戻す。後の者は、脱出行動に移れ。いつでも飛び立てるよう、外で待機！」
「了解」
三人の若い隊員が残り、攻撃隊は二手に分かれて、行動を開始した。
合流したサキに、神は何も聞かなかった。今、サキはここにいる。瞳はこの先にいる敵を見据え、全身からオーラを感じ取れる状況が物語っている。どんな結末だったにしろ、サキが“母を超えて来た”ことは、揺るぎない事実だろう。
一歩ずつ、信楽老の居るだろうコントロール・ルームへ近づいていく。二人とも、無言だ。
神の肩は、ちゃんと止血をしていないので、今も少しずつ出血が続いている。巻いてあるネクタイは、血で染まっていた。激痛と出血。それでも神は、気力で足を進める。
「どうしたの？」
何を思ったのか？ 神は立ち止まり、心配するサキの眼を見据えて言う。
「最後の闘いの前に、言っておきたいことが、ある…」
「何？」
「サキ……。私の、花嫁になるか…？」
サキの瞳から溢れる、喜びの涙。神は右手で、そっと涙を拭ってやる。
「泣くな…。その涙は 『ＹＥＳ』 の意味だな？」
「決まってるじゃないか……」
サキは、うつむいたまま、小さく声に出して答える。
「良かった…」
実際に口に出して言うまでは、少々自信が無かったが、サキの“返事”に安堵して、神は青い顔を微笑させた。
「もっとも、無事に帰れたら、の話だが」
途端にサキは大きく目を見張り、真剣な顔で神を叱咤した。
「何言ってるんだ！『敵を倒し、自らが助かってこその勝利』だろっ！」
それは、かつて、神自身が言った言葉。当然、負けも引き分けも論外だ。
（この傷が、心のどこかに『弱気』を生じさせたか？）
自分らしからぬ言葉だったと、苦笑い…。
「そうだったな……」
ふたたび無言のまま歩きだした二人は、最後の角を曲がる。目の前に、冷たく光る“コントロール・ルーム”の入り口が、見えた。
「いよいよ、だな」
神はサキを見た。サキも神を見つめ返した。
各セクションに設けられたモニター室。随所に設置されたカメラからの映像を逐一、各画面に映し出していた。カメラが壊れて、映らない場所も多かったが、それでもムウ＝ミサは、わずかな望みをかけて、サキを探そうとスイッチを切り替えていた。
「下へ行ったことは、確かなんだ。どこだ？ 映ってくれ！」
機械をアテにしたのが無理だったのか。神と一緒じゃ、そんなに早く進めないはず。それとも、もうコントロール・ルームへ入ってしまったのか？
「ここだったのか」
見切りをつけて自力で探そうと決めた時、攻撃隊の隊長と三人の隊員がモニター室へ現れた。
「何だ。とっくに帰ったんじゃなかったのか。言っとくが、俺は、まだ！ だからな」
「おまえを連れて行かないと、俺の任務が終わらないんでね。その民間人を見つけ次第、脱出だ。同行させてもらうぞ」
「御勝手に！」
仏頂面で、モニター室を出ようとしたムウ＝ミサの眼に、奇跡が飛び込んできた。
「あっ！」
「何だ？ 見つけたのか？」
隊長がモニターを覗き込む。倒れているナツと碧子が映っていた。
「民間人というのは、この二人のことか？」
隊長はモニター画面を指さして、ミサの答えを待っていた。だがしかし、ミサの視線は、その隣の画面に注がれていた。傷ついた神に寄り添い歩くサキが映し出されている画面に。
「おまえが助けたいのは、そっちの二人か？ じゃ、こっちの二人は…」
ミサが凝視しているモニター画面と、自分が指さしているモニター画面を見比べて、隊長はミサの心情と、画面向こうの現実を把握しようとした。
「来るなって言っても、ついて来るんだろ？」
噛み合わない答えを出して、ミサはモニター室を飛び出した。
「おいおい！ だから別の二人は、どうなんだ？ 助けなくていいのか？」
再び走り去るミサの背中に向かって、隊長は大声で叫ぶが、それを聞き入れる余裕は、ミサには無かった。モニターカメラの位置情報から、二つの画面の位置は、あまり離れていない、同一通路上にあるだろうと推測した隊長も、再び隊員達を引き連れて、ミサの後を追った。
「隊長。若い方は、ダメです」
隊長に付いてきた隊員の一人、由良が、碧子の頸動脈を確認して報告した。
「こちらは…息が…有ります。たいした外傷もないので、気絶しているだけだと思われます」
もう一人の隊員、田島が、ナツの頸動脈と呼吸を確認して報告した。
「そうか…。ホトケさんには悪いが、息の有る方だけ連れて行ってくれ。由良、田島、頼むぞ。黒柳、来いっ！」
サキと神の映るモニターしか見ていなかったムウ＝ミサは、途中でナツと碧子を見つけて足を止めたが、すぐに追いついてきた攻撃隊長と隊員を見て後を任せ、すでにこの場から去っていた。任された隊長は倒れている二人の生死を素早く確認させると、隊員二人に指示を出して、息つく暇もなくミサを追い掛ける。
何としてでも“愛する者を救いたい！”というミサの想い。たとえ彼女の側に“恋敵”が居ようとも。彼女が自分より、その“恋敵”を選んだ事実があろうとも。自分が彼女を、そして彼女のために恋敵の彼を“助ける！”という信念を貫くために走っている。
信念というなら、隊長も自分に科せられた任務を全うすることが、この仕事に対する誇りと信念だった。その一方でムウ＝ミサの行動に、何がそこまで奴を駆り立てるのか、追っていく中で疑問と共に興味も湧いた。その答えを見たいとも思った。
しかし走る中で聞こえてくる音。爆発が爆発を呼んでいるだけでなく、別の不気味な音も混じっていることに気付いた。それは爆薬に精通する同伴の黒柳も指摘する。予定外の行動に悠長に付き合っていられないことを確信した隊長は、グッドエンドの任務完了に持って行くために、最後の選択肢も視野に入れた。
（使いたくはないが、最終的には……）
隊長は、麻酔剤の入った小さなプラスチックケースを胸のポケットから出した。
＜つづく＞