Fanfic.】銀色の招待状

　ある日の午後。
「ちわぁー。郵便でーす。いいかげん、郵便受け、付けて下さいよぉ。頼みますから～」
　毎度おなじみのセリフと共に、配達員は郵便物の束を女性に差し出す。
「はいはい、考えておきますね～」
　これ又、毎度おなじみのセリフを返して、20代前半と見られる女性は、その郵便物の束を笑顔で受け取る。毎日のように繰り返される配達員とのやり取りは、おはよう、こんにちは、といった挨拶と同じで、その光景はすでに生活の一部となっていた。
　そんな日常が見られるここは、東京青山にある神私立探偵事務所。主と助手が変わっても、看板は替わらず。内装も外装も何もかもが全て、前任者が居た時と同じ環境に保たれているといった、徹底ぶりの変化の無さだった。
　そっくり、そのまま…が、現在の事務所の主・ムウ＝ミサの意向だった。誰に強制されたわけでもない、ムウ＝ミサ自身がそれを望んでいた。退職金全額を注ぎ込んで、正規の相続人であったスガちゃんから譲り受けた時から、その意向は変わっていなかった。
　大学在学中から時々、思い出に浸りたくて事務所に来ているうちに、ムウ＝ミサの手伝いもするようになった吉村美鈴は、当然そのことを知っていて、秘書兼調査員として正式に勤め出してからも、配達員には悪いと思っても専用の郵便受けを置かないでいた。

　受け取った郵便物の分類を美鈴は早速始めた。
「これは…あたしだ。これは…ミサ。これもミサ…」
「これは…あぁー、この間の請求書ね。これは、こっ…と。何？ これ？ いやぁーねぇーっ！ どうせロクでもない物に、決まってるんだから。カミソリは入ってない様だけど、変よ、変！ 絶対、変！ 何でコレが、郵便物に混じっているの？ ちょっと、ミサ！」
　美鈴は、問題の「封筒」を、宛て名のミサに持って行った。午前様だったムウ＝ミサは昼過ぎの起床で、部屋から出て来てドカッとソファに寝転んだままだった。まだ眠気を帯びている眼で天井を眺め、煙草を吹かしている。美鈴が運んだコーヒーは一口飲まれただけで、すっかり冷めていた。
「ねえ、聞いてるの？ これ。心当たり、ある？」
　目の前に差し出された白い洋封筒。受け取ってミサは、視線だけを美鈴に移す。
「あなたの名前だけしか、書かれてないの。差出人は勿論、ここの住所も、郵便番号も、切手さえ、貼ってないのよ！ こんな物が、よく紛れ込めたわよねっ」
　封筒の表には「ムウ＝ミサへ」と黒で印字された文字が有るだけで、後の手掛かりは無い。
（あの女なら、これくらい《お茶の子さいさい》ってトコだろーな）
　差出人に心当たりがあるらしいムウ＝ミサは、黙って宛名を見つめるだけだった。
「その様子じゃ、大有り…みたいね。誰？ この際、経路なんて、どうでも良いわ。どうせ『裏』の人なんでしょ？」
　容赦なく言い寄る美鈴。ふぅーっと、溜め息をつくミサ。数秒おいてガバッとソファから身を起こし、美鈴を睨んだ。
「良いか、美鈴。コレの事は、忘れろ。これは、俺だけの問題だ。良いなっ？ はいっ！ 三、二、一っ！ 忘れたっ！」
　美鈴は大いに不満だったが、あれだけ真顔で、凄い眼で睨まれては……。すごすごと退散した。

　昨夜の出来事を、美鈴は知らない。話したくても、話せなかった。

　昨夜、繁華街の裏通り。
「俺としたことが…ドジッたな」
　乗り込んだ自分の車に、他人の気配を感じて、両手を挙げるムウ＝ミサ。
　用意周到にルーム・ミラーは角度が曲げてある。声で「女」だとは、わかるが…。 微かに首をひねり、視線をずらして後ろを探る。薄暗い裏通りでは、顔の判別がつかない。
「フフッ。お上手だこと。知っていて、乗り込んで来たのは誰かしら？」
「やれやれ、お見通しか。何の用だ？ 昨日から俺を付け回して」
　ミサは、ふふんっと鼻を鳴らした。
「流石ね、ムウ＝ミサ。あなたに、割りの良い仕事を紹介したくて」
「間に合ってる」
　ミサは両手を降ろそうとしたが、それより先に、腰に銃口の感触を感じた。
「あなたの、大事な『場所』と、大事な『女性』が、どうなっても良いのかしら？」
「何のことだ？」
「美鈴さんて…おっしゃったかしら。あなたの『かわいい』秘書さん。それに事務所。あなたには、とても深い『想い』が有って、手放したくないんじゃなくて？」
「例えば…？」
「そう…。あなたには、敵が多いでしょうから、ある日、秘書さんごと、爆弾で粉々になるとか、もう少しソフトに、覚えのない借金のカタに、差し押さえられとか…。いろいろ、有るわね」
　フフフッ。不敵な女の笑い。
「脅しには慣れてるさ。断るっと言ったら？」
「出来るかしら？ 美鈴さんは、知らないんでしょう？ あなたの『過去』を」
「どういう…ことだ」
「内閣調査員時代の事じゃなくて、その前の事」
「…ハッタリは、よしな…」
「あら、甘く見られたわね。マンハッタンの…」
　その単語に続くだろう言葉をムウ＝ミサは遮った。
「割が良い、と言ったな。報酬は？」
　暗闇の中で女は勝利の笑みを浮かべた。
「それは、あなたのお望み次第。一億でも、百億でも…希望の額を、キャッシュで」
「太っ腹だな」
　そう言ったムウ＝ミサの声は、嫌味を帯びていた。いや、嫌味でしかなかった。
「わかった！ やれば良いんだろう！　やれば！」
　また女は暗闇の中で笑みを浮かべる。不敵な笑みを……
「それで？ 仕事の内容は？」
「秘密。今、ここでは言えない。近いうちに『招待状』を送るわ。後日改めて……」
　カチャ。後ろのドアが開く。チャンス！ 振り向こうとしたミサの頭に、銃口が当たった。
「利口者は、振り向かない。喋らない。じゃあ、また」
　女は車の外に出ると素早く闇の中に姿を消した。最後まで反撃できなかったムウ＝ミサだったが、一つだけ収穫があった。ドア・ミラーまでは手を加えていなかった様だ。
（黒じゃない。あれは…白？　いや銀髪？）
　苦々しく見送った女の髪が、闇に溶けずに白く浮き上がった。白か銀か。張りのある声は老婆とも思えない。人にもよるだろうが老婆なら闇の中に素早く消えることも難しいだろう。とすると？
（若い外国人か？　日本語が流暢な？）
　たった一つの目撃と、声や話し方から推理できるものは限られていた。思考を巡らし1分、また1分、と時間が経つにつれ、推理よりも手玉に取られた悔しさが込み上げてきて、ムウ＝ミサは行きつけのバー「アリス」へ車を走らせた。
　
　それが「話せない」昨夜の出来事。

　「アリス」で記憶がないほどムウ＝ミサは酔い潰れた。心配したヒゲクマ・マスターが美鈴に連絡して、呼び出された美鈴はマスターに手伝ってもらって事務所までミサを運び、そのまま事務所で朝を迎えた。
　昼過ぎに起きて開口一番にそのことを美鈴からガミガミ言われたミサは、寝起きでボーッとしている振りをして、内心は青ざめていた。表情には出さなかったが柄にもなく動揺した。何も口走ってないよな？　美鈴の態度から何事もなかったと思うが、それにしてもの失態に、当分、美鈴には頭が上がらないと思ったミサだった。
　美鈴が買い物へ出掛けた隙に、ムウ＝ミサは招待状の封を開けた。日時と場所しか書かれていない。
「クソッ！ 何が『近いうち』だ！」
　封筒に向かって小声で悪態をつく。封筒の白さに、闇の中で浮かびあがったあの女の髪の色が重なる。苦々しさが甦る。しかしこの封筒が、新しい二人の「友」との出会いと、因縁の「敵」との再会を意味していたとは、まだムウ＝ミサは知らなかった。

　そして、約束の日……

＜「怪盗アマリリス特別編　アルカディア作戦」へ　続く…＞