沈没していくアトラクシアを背に、日本へ帰って来た俺たちは、夜の闇に紛れて椎崎家の地下ロフトに身を寄せた。笑顔で迎えてくれたダミーたちの目は赤く、既に『花連』から連絡が入っていた事を物語っていた。
出発メンバー以外の客人、黒狼の分の食事や着替えなどの支度を頼み、俺は無理を承知で、ダミー奈々に希望を言った。
「……俺、今から『花連の里』に行きたいんだ。悪いけどヘリ、出してくれないか？」
一刻も早く渡したい『物』があった。
「えーっ！？ 今からですか、海さん！」
夜明けまでに必ず帰るからと説得し、ダミー・ママさんとスガちゃんに後を頼み、出発した。手に、あいつのイヤリングを握り締め……
思った通り、イヤリングには発信機が組み込まれていた。しかし誘拐されたママさんの時と違って、島の崩壊では見つかる確率はほぼゼロだと宣言された。絶望的な状況は知ってる、目の前で見てきたんだから。それでも発信機が生きている限り、いつか電波を受信できるはずだ。万が一の可能性でも捨てたくなかった。気休めと言われようがイヤリングを『花連』に託し、約束どおり夜明け前に帰って来た。
黒狼は既に消えていた。テーブルに『蜘蛛女のキス』を残して……。深夜みんなで軽く食事をして、風呂の準備が出来たとスガちゃんが呼びに行った時には、姿がなかったそうだ。
戸川、戸沢の両先生は朝食を食べた後、何事も無かったかのように山奥へ帰って行った。タフだなぁ。
ジュニア、ミザリー、ファントムの三人は、アトラクシア跡へ行くことを希望した。巨大倉庫に眠る美術品の行方が気になると言って。強固なシェルター仕様の倉庫だったから中身は心配ないが、島の崩壊と共に倉庫も沈んだのか、それとも島の深部にまだ存在するのか知りたいそうだ。翌日まで待って成田からオーストラリアのシドニーへ出て、そこから『花連』と協力関係のある、現地組織が提供したクルーザーで向かう予定とか。
アトラクシアからのヘリの中でも、地下ロフトにいる時でも、誰一人としてアマリリスの『死』を口に出さなかった。あの状態で、それが天文学的な確率の奇跡だとしても、誰もが『生』を信じていたいらしい。もちろん俺も。
みんな離散したので、俺もダミーと入れ替わり家に戻った。日本国内でも『黒いオークション』の人間は根こそぎ捕まっていて、アマリリスを取り逃がしたとはいえ叔父さんも雛子さんも大忙しで、ここ数日は家に帰ってないそうだ。
ティアラ・ドームでのイベント・ウェディングも、企画したマナベプロも、その正体が暴かれ、大手の芸能プロの事だけに、日本の芸能界全体が大激震を受けていた。だがイベント一般参加者たちからは、非難の声は聞かれなかったなぁ。自分たちの願望が叶えられたからか？
その後も『花連』からは何の連絡も無く、二週間過ぎた。捜査も一段落したとかで、叔父さんも雛子さんと一緒に帰って来るようになった。すっかりその気の、自称『転雛子』さんに対し、相変わらず叔父さんは迷惑がっているけど、雛子さんの押しが強くて、陥落も間近だ。難関なのは雛子さんのお父さん。毎晩入るチェックの電話から察すると、頑固で気難しく恐そうだ。がんばれよ、お二人さん。
本物あってのダミーたちは『退場』することになった。地方への引っ越しで椎崎奈々は転校、フラワードリーム・ナナは引退という形で、アマリリスの『昼の顔』を清算していった。
ダミーたちを乗せた引っ越しのトラックを見送った後、ベランダに出て奈々のことを想っていた。バイクの音がしたので視線を道路に落としたら、そこにはレンタルビデオ店のバイクが！ 俺に気づいて見上げる元締めの顔は笑っていた。それだけで分かった。確立はゼロではなかった！
「どうする気だね？ 覚悟は出来ているんだろうね？」
場所の説明を終えた元締めは、今までのニコニコ顔から一転して、真顔になった。
「イヤリングを渡した時も、同じ事を『花連』の長老に聞かれたよ」
どうするも、こうするも、俺が決めたのは一つ。崩壊していくアトラクシアの塔で、あいつにキスした時から決めていた。イヤリングを盗ったのは、俺の意思表示だ。同じ道を進むという……！
「今までの『森村海』は、この世からいなくなるんだぞ？」
俺は深くうなずいた。
「親不孝になるけど……今までの全て、これからの全ての『森村海』と、アマリリスを天秤にかけたら、アマリリスの方が、ナナの方が重い！」
元締めも深くうなずいた。
「決心は固いか……。長老から聞いてはいたが、念のためにな。まあ後の事は任せておきなさい。ナナを頼むぞ」
山で遭難事故死という偽装工作のため、再びダミーと入れ替わった。もう二度と、この家、この部屋には戻れない。父さん、母さん、それに叔父さん、わがまま言ってごめん。今までありがとう……
偽装工作の準備が出来るまで、しばらく『花連の里』に身を寄せていたが、いよいよその日が来た。最小限の荷物と、花連から返されたイヤリングを持って、俺はナナを求めてモンゴルへ飛び立った。
＜アマリリスは艶やかに咲く へ続く＞