そうだったらいいのにな Episode 6「癒される心」～１：オーバーラップ～
夕暮れ時の公園で独り、ブランコに揺られている少女。キーコ、キーコ。うつむいて、ブランコの揺れに身をゆだねている。揺れが止まれば、足を一蹴りして、何度も何度も、ゆらゆら行ったり来たりを繰り返していた。その公園を通りかかったサキは、一週間ほど前にも、同じ光景を目にしていた。やはり夕暮れ時。ゴールデンウィークが終わって、日本全体が慌ただしさから解放された頃だ。
遠巻きに、そっと、様子を見てみる。たぶん同じ少女だ。なんとなく顔も覚えているが、ちょうど、あの時と同じ格好をしていた。赤い長袖Ｔシャツで、胸元に花柄のプリントが入っている。下はジーンズ地のミニスカートに黒のスパッツ。髪も肩の辺までの長さ。
間違いない。胸の奥から込み上げてくる“過去”が、サキを行動させた。最初に見かけた時も、気になった。その少女の、寂しそうな、辛そうな表情が。そしてそれは、自分の“過去”と重なった。母から疎まれ、家に居づらくなるとよく外へ出た。近所に友だちもなく、いつもひとりぼっちだったあの頃。自分の過去と目の前の現在が重なり、そこにいる少女が“もう一人の自分”のように感じられ、だからサキは行動に移した。その少女に声を掛けずには、いられなかった。
「こんにちは。夕陽が、きれいだね」
「…………」
「ブランコ好きなの？ さっきから、ずっと乗ってるよね？」
「…………」
空振りだった。少女は変わらず、うつむいたままブランコを漕いでいた。サキの声が聞こえなかったのか？ 否。最初に話し掛けた時、突然で驚いたのか、ビクッと反応している。
「そろそろ暗くなってくるよ。早く帰らないと、おうちの人が心配するんじゃないかな？」
「…………」
やはり空振りだった。少女はブランコの揺れが止まると、サキの存在を無視するように、ブランコから降りて駆け出した。ブランコから見ると正面に位置する公園の出口へ走っていった。辺りは日が落ちて、薄暗くなり始めていた。
「フラれちゃったかな」
仕方ないかも。そんな思いでサキは、フッと照れ笑いをもらす。さっきまで少女が座っていたブランコの鎖を片手で持って、小さく一揺れ揺らした。ブランコはバランスを崩して、不規則に揺れた。
次の日も次の日も、サキは公園を訪ねた。たまたま、なのか？ それとも、サキが来ることを分かっていてか？ 毎日毎日、少女も来ていた。サキは根気よく話し掛け、少女も少しずつ答えるようになって、10日後には少女の笑顔が見られるほどになった。
ここのところ連日、夕方になると機嫌良く“ちょっと出掛けてくる”と言って出ていくサキを、神は不審に思っていた。理由を聞いても出掛ける場所を聞いても、答えてくれない。
今日も、つい先ほど、夕刊と入れ違いに出ていった。何か考えが有っての行動だろうとは思っても、神はスッキリしない。サキを見送って、届いた夕刊を小脇に抱えて、ソファに座ろうとしたところを、神の心を見抜いているスガが“一撃”を飛ばした。
「新しいボーイフレンドかも」
バサバサバサッと夕刊が床に散らばる。慌てて拾う神。
（ホーント。からかい甲斐のあること★）
自分のデスクで資料の片付け作業をしていたスガは、書類の陰でペロッと舌を出した。
翌日の夕方、サキが出掛けた後、神も“煙草を買ってくる”と、もうバレバレの言葉を口に出して、玄関を出ていった。その言葉を聞いた瞬間、スガは吹き出しそうになったが、グッと我慢して、神の姿が見えなくなったのを確認してから、笑い転げた。
スガも、サキが出掛ける理由なんて知らなかった。だから本音を言えば、“何だろう？”と気になっていたが、天と地がひっくり返っても、新しい“ボーイフレンド”じゃないことは分かっていた。
「やだー、もう、神先生ってばぁー！ まさか昨日の言葉、本気に取るなんて」
尾行なら、お手の物。神はサキの後を付けた。歩いて10分ほどの公園。周りは戸建てやアパートが立ち並ぶ住宅街。割と近所だった。
サキに気付かれないように、公園の隅に生える木の陰に身を隠した。夏場には強い日差しを遮ってくれるだろう木の陰は、神の身体をスッポリ隠してくれた。そこからキョロキョロと辺りを見回す。1分と経たないうちに、小さな足音が聞こえてきた。
「ガールフレンドか」
足音の主と楽しそうに、一緒にブランコに乗るサキを見て、神は自分の行動を反省した。新しい“ボーイフレンド”なんて、本気にしたわけじゃないが、結局はスガに“乗せられた”形となってしまった自分の不甲斐なさ。秘密は“秘密”にしておいてやろう。いつかサキが話したくなったら聞いてやろうと、神は公園を後にした。
それから二日後、いつもは笑顔で帰ってくるサキが珍しく、うつむいて、沈んだ雰囲気を漂わせて帰ってきた。何を聞いても“何でもない”とだけしか言わない。しまいには“うるさいなっ！ ほっといてくれ！”と言い出す始末。
あの“小さなガールフレンド”と何かあったんだろうか？ 神は気になった。それは的中したらしく、その日以来、サキは夕方に出掛けるのを止めた。
止めてからもサキは、少女のことも何も、神に話すことをしなかった。神も深くは追求しなかった。スガの言うとおり、サキの心が落ち着くまで、そっと見守ることにした。
キャンセル待ちで、なんとか予約が取れた結婚式は、６月下旬の日取りだった。今日は衣装決めの日で、予約時間に間に合うように、バタバタと仕度を急ぐサキと神。淡いグリーンのパンツスーツに、同系色のショルダーバッグと、ヒール低めのパンプス。髪の束ね方も少し変えて、スガ自慢のコーディネイトで変身したサキは、いつもと違うオリーブグリーンのスーツに身を包んだ神と一緒に、慌ただしく車に乗り込んだ。
あれこれ迷って決着を付け、予定を終えたサキと神は、遅い昼食を行きつけのレストランで済ませ、事務所への帰り道、ざわついた光景を目にした。行きにはパトカーが止まっていた辺り。今は野次馬に混じって何台かのＴＶカメラやレポーターらが、取り囲んでいた。
「何か、事件があったんだね」
「そうらしいな」
「明日のワイドショーで出るのかな？」
車の窓越しに、通り過ぎていく風景。建物の僅かな隙間から、あの公園の大木が一瞬、サキの瞳に映った。
（あの公園……ここから近いな。……どうしてるかな、るみちゃん）
サキは“小さなガールフレンド”だった、少女のことを思いだした。
次の日、なぜかサキは昨日のことが気になって、ソファに座って、リモコン片手に朝のワイドショーのハシゴをしていた。芸能人の離婚や浮気の話、ＴＶ局とタイアップの映画の話、収納の達人だとか便利商品の紹介などなど、相変わらず“平和だねぇ、日本は”と思わずにはいられない内容に、普段はワイドショー敬遠組のサキは、本気で思った。グランドスラム作戦も、あの悲惨で壮絶な東京の姿も、夢だったんじゃないか？と。
つまらなくなって、リモコンの番号でなく、“チャンネル＋”部分を押しっぱなしにして、次々と変わる画面を惰性で見ていたサキは、それでも昨日の光景が映った画面に即座に反応した。右下に出ているテロップには、“児童虐待”の文字が入っていた。
――― 4月に1年生になったばかりで……
――― 茂木容疑者の夫は虐待に全く気付いていなかった……
「どうした？ 珍しいな。おまえがワイドショーを見ているなんて」
「しっ！ ちょっと黙ってて。昨日見た、あの場所のこと、やってるんだから」
昨日見た場所。神も興味を持ったのか、サキの隣に座った。
――― 普段から近所との交流も少なく……
――― 親しい友人の話では茂木容疑者自身が小さい頃に虐待を受けていて……
サキの身体がビクンッと揺れた。サキは平然を装っているが、神には感じ取れた。たぶん“虐待”という言葉に対してだろうと神は思った。
――― 虐待を受けた子供は虐待する親になりやすいと言いますが……
その道に詳しいコメンテーターの解説に被って、画面の左上に被害者である子供の顔写真が出た。“亡くなった茂木留実ちゃん（6歳）”と記されて。あどけない笑顔。その写真が出た瞬間、サキはソファから立ち上がった。
「るみ……ちゃん？…」
サキの異変に気づいた神が、どうした？と聞く間もなく、サキは気を失って、その場に倒れ込んだ。
「何です？ 今の音……って、うわぁ！ サキさん！ どうしたんですかっ！？」
倒れた拍子にサキの手から離れたリモコンが、勢いよくテーブルに落ちた音。神が支える暇もなかったので、ドサッとソファに倒れ込む音。それらを聞いて、何だろう？と駆けつけたスガは、予想もしなかった“倒れているサキ”を見て血相を変えた。
「わからない。ワイドショーを見ていて急に立ち上がったかと思うと…」
神は、ハッとしてＴＶを凝視する。被害者の少女の顔。現場と見られる場所。まさか……？
「まさか……この少女が？ 似ていると言えば似ている……。この少女が、あの……？」
神はサキを抱き上げながらも、ＴＶから目が離せないでいた。
サキとスガの共同部屋に運び、サキをベッド寝かせてから、既に1時間が過ぎた。時計の針は10時半を指そうとしている。
普段は“女の園”として、雇用主でも“立入禁止”になっている二人の共同部屋。今日ばかりは非常事態として、特別に入ることを許可された神は、サキが目を覚ますまで、側で静かに待っていた。
「ん………」
サキの瞼が、ゆっくりと開く。
「気がついたか？」
神の声で完全に目が覚め、ベッドから出ようとしてサキは起き上がるが、急に動いたので身体がフラつく。神は無理するなとサキを止め、上体を起こしただけでベッドに座っているように言う。
「あたし、いったい……？」
「ワイドショーの……児童虐待死事件のレポートを見ていて、急に立ち上がったかと思うと、倒れたんだ。気を失って……」
記憶が甦ったのか、サキの身体が震え出す。神もサキの側に肩を寄せた。
「あの被害者の少女が、公園で一緒に遊んでいた少女なんだな？」
ビクッ。サキは神を見上げた。なぜ知っているのか？という顔で。
「ちょっと、スガに乗せられてね。様子を見に行ったことがある。二人で楽しそうにブランコに乗っているところを俺は見た。が、少女の顔までは、よく見えなかった。だから最初は、おまえが倒れた理由が分からなかったが……。あの少女なんだな？」
サキは、ゆっくり、無言で頷き、重い口を開いた。
「るみちゃんが、とても辛そうな顔をしていて、それが、とても他人事とは思えなくて。なんだか、昔の自分を見ているようで……。だから、自分が嬉しかった『おねえさん』の存在を思い出して、あたしが、るみちゃんにとっての『おねえさん』になれたら……。なれたら…じゃなくて、なりたい…かな。るみちゃんを少しでも救ってあげたかった」
「お姉さん？」
「名前も知らない、たぶん近所に住んでいた人だと思う。高校生か大学生くらいの。……母さんに怒鳴られてベソかいてる時とか、よく慰めてもらったし、遊んでくれた……」
サキの瞳から、涙が流れ落ちる。
「あの日、鬼ごっこしてて、あたしが鬼で、るみちゃんを捕まえたんだけど。捕まえる時、Ｔシャツの裾を引っ張っちゃったんだ。そしたらシャツがズレて、肩にアザが見えたんだ。何かで殴られて内出血したようなアザが」
神の顔が曇った。虐待を裏付ける証拠。
「思わず『どうしたの？』って聞いちゃったんだ……。るみちゃんは『なんでもない』って言ったきり、その場に立ち止まって黙り込んじゃって。よく見たら、前髪で分かりにくかったけど、額にもアザが有った。その時、分かったんだ。あの辛そうな雰囲気は、もしかしたら、誰かから暴力を受けているせいじゃないか……って」
普段は意識的に封印している記憶。ほんの10数年ほど前の記憶が、被害少女と重なって、サキの頭の中に見え隠れしていた。
「きっと、辛くても何も言えないんだ。そう思ったら、るみちゃんを抱きしめたくなって、手を伸ばしたら……。思いっきり手を払いのけて行っちゃった。『お母さんは悪くない！ おねえちゃんのバカッ！』って言って……」
サキは顔を伏せた。涙が止まらなかった。
「あたし、るみちゃんを救えなかった。あの時、すぐに追いかけてたら、もしかしたら、るみちゃん……。あたし、あたし……」
神はサキの髪を優しくなでる。
「おまえの所為じゃない。そこで追いかけたとしても、それからどうした？ ここへ連れてきたか？ 親に黙って連れてくれば誘拐だ。それとも母親に『あなたは虐待しているから』と言うのか？」
顔を伏せたまま、肩を振るわせて泣き続けるサキ。神は続けた。
「児童相談所へ連絡という手もあるが、なかなか手が回らないのも現状だ。おまえが、すぐに連絡を入れたとしても、実際に相談所の職員が動くまでタイムラグが有るだろう。酷な言い方だが、仕方なかったんだ。残念な結果に終わってしまって辛いのは分かるが、その子の母親の、心の問題も絡んでいるし、おまえ一人の力では、どうにも出来なかったことなんだ」
母親の心の問題。サキは、神の言った “その言葉” が、ズシリと心に重く、のしかかった。コメンテーターの言葉が、サキの頭の中で再生される。
〔虐待を受けた子供は虐待する親になりやすいと言いますが……〕
「あたし……、もしかしたら同じこと……。自分の子供が、るみちゃんみたいに……。もしかしたら……。嫌ぁぁぁーっ！！！」
＜つづく＞