そうだったらいいのにな Episode 22「家族」
外出時の必需品を入れたマザーズバッグを左肩に掛け、奈津樹の手を引いて恭一郎は藤野病院を訪れた。コンコンッ。恭一郎は病室のドアをノックする。
「どうぞ」
返事を聞いてドアを開けると、ちょうど母乳を与えているところだった。
「どうだ？ 調子は」
椅子を持って来て奈津樹を座らせ、自分はベッドの端に腰を掛けて、恭一郎は妻の体の具合を尋ねた。
「元気、元気！ まだヘタだけど、一生懸命、吸ってくれてるよ」
「ちがう。お前の事を聞いたの。チビスケは見れば分かる」
一心不乱に母親の乳首に吸い付く息子を見て、それは本当は“お父さんの”だからな、とかなんとか言って息子のプックリとした頬をツンツンと軽くつついた。つつかれた本人は嫌そうな、しかめっ面をしたように見えた。
「こらっ！ 奈津樹が真似するでしょう！」
サキにたしなめられた恭一郎は、ちょっと肩を竦めて、こういう事はダメだと奈津樹に向かって都合良く切り返す。
「名前の事だが……」
空腹が満たされ再び眠りについた息子を眺めながら、恭一郎は切り出した。
「良い名前、考えついた？」
サキも再びベッドに横になり、寄って来た奈津樹の頭を撫でながら、聞き返す。
「恭介、に……しようと思うんだが……」
「きょうすけ？」
「俺の『恭』に『介』という字だ」
配膳台に付いている引き出しから、メモと鉛筆を取り出して書いて見せる。
「俺の…親父の名前だ。親友に裏切られ、殺された……縁起悪くて、嫌か？」
「そんなことないよ。奈津樹の時は、あたしが我がまま言ったんだから、今度は、あなたの好きな名前にして。恭介…良い名前じゃない」
スヤスヤと眠る息子に、サキは視線を移す。
「よかったねー。良い名前をもらって。『恭介』くん！」
恭一郎は、奈津樹を膝に乗せる。
「おまえが、恩返しに『奈津樹』と付けたように、俺も、せめてもの『親孝行』っと思ってな。こいつを可愛がる事で、親父に尽くした意味にはなるわけないが」
「気持ちだよ。その気持ちだけで、お父さん喜んでるよ、きっと」
「そう…かな」
「親孝行なら、真似事、出来るじゃない。Ｍｒ.ゴルドに」
「それも、そうだな。おまえの『父』だから…俺はゴルドにとっては『娘婿』で、俺から見ると『舅』なんだ！ 今まで、考えもしなかったが」
「アハハッ。ほんとだ」
二人は顔を見合わせ、クスクス笑う。つられて奈津樹もキャハハと笑った。
「ありがとう…サキ」
今、笑っていたのに、急に真面目な態度。こんな恭一郎、サキは営業以外で見たことない。
「やだ。何？ 急に改まっちゃって」
「俺には…『家族』は『望めない』と思っていた。だから『望まない』と心に誓っていた。だが……おまえと出会って、こうして娘や息子を抱くことが出来た。ありがとう」
うつむき加減の顔。涙…？
「さて、名前も決まった事だし、Ｍｒ．ゴルドに手紙を出すか。退院は？」
そう言って顔を上げた恭一郎は、まつげが少し濡れていた。
「順調だから三日後かな。明日も来るんでしょ。名前決まったこと看護婦さんに言っとくね。出生届、後は名前記入するだけみたいだから」
「じゃあ、明日出せるな」
「うん。多分ね」
「ＯＫ」
恭一郎は、奈津樹をひょいと抱き上げる。サキは手を振った。
「奈津樹、またね」
「ばいばい、まーま。ばいばい、きょーすけ」
恭一郎と奈津樹が帰った後で、サキも改めて思う。
あたしだって、こんなに幸せな家庭を持てるなんて、夢にも思わなかったよ……）
すやすや眠る恭介の横で、サキも昼寝についた。
＜家族 ＥＮＤ＞