そうだったらいいのにな Episode 10「ホワイトクリスマスイヴ」
神から渡されたクリスマスプレゼントは、サキが“知っている物”とは、大きさが違っていた。ちょっと戸惑って、サキは疑問の声を投げかけた。
「じゃあ、あの時のイヤリングは？」
全く以て予想外だったサキの言葉に、神も大いに戸惑った。
「あの時の、というと、もしかしたら『ジュエリーちとせ』を調査した時の……か？」
サキは黙って神の目を見たまま頷く。予想外すぎたサキのリアクションに、神の顔は信じられないといった顔つきになっていた。
「あれは調査中のことだろ？ 仕事なんだ。私情をはさむわけないだろう。オーナーに了解を得て、買った振りをしただけで、調査書を渡す時に返した」
サキにとっては無情の答えだった。
「そっ…そうだったのか。そうだよ…ね、仕事だったよね。バカだなぁ、あたし、勘違いしちゃって」
引きつった笑い、トーンダウンした声。サキは自分の浅はかさを知ったのと同時に、腑に落ちない感情も湧き出した。が、吐き出すことなくグッと飲み込んでしまった。仕事に私情は禁物。どんな状況であろうと、仕事中に神が私情を持ち出すことは、ない。
それを察して、スガが助け船を出した。
「でも先生、アドリブだったんでしょう？ 打ち合わせにはない、その時のとっさの判断で」
「ああ、確かにアドリブだった。ターゲットの反応が見たくなって……」
立冬も過ぎて、季節が冬支度を始めた頃、そこそこ名の知れた宝石店『ジュエリーちとせ』のオーナーに、内部調査を依頼された。店員の誰かが横流しをしているらしく、その実態を掴んで欲しいという。できれば警察沙汰にはしたくないというオーナーの強い願いで受けた依頼。オーナーの計らいで、サキが店員として潜り込み、内と外、両方からの連携プレイで依頼には応えられたのだが、今、ここで問題になっているのは、その調査中の出来事だった。神が客として様子を見に来た時に、打ち合わせとは違う行動をした。その行動が、サキを公私混同させたようだ。
スガは“サキの心”を代弁した。
「ニューヨークに出張で、帰るのは年明けだから、奥さんに早めのクリスマスプレゼント……は、別に構わなかったと思いますが、そこでサキさんを指名して、君は妻にイメージが似てるとか、妻は８月生まれだからと８月の誕生石を聞いて、サキさんにイヤリングを見繕ってもらうとか、架空のはずなのにリアルな妻像では、サキさんが勘違いしても仕方ないと思いますが？」
「スガちゃん、ありがとう……もういいよ。仕事中なのにうっかり勘違いした、あたしが悪かったんだから」
まだまだ言いたかったようだが、サキに止められてスガは口を閉じ、その場から一歩下がった。
「そういうことだ。仕事は仕事、私生活は私生活。公私ともにパートナーであるからこそ、気を付けてくれよ」
サキは黙ってうつむき、その場を離れた。そして、そのままコートも着ずに事務所を飛び出した。
「あっ！ 待って、サキさんっ！ ほら、先生！ 早く追い掛けてくださいよっ！」
朝からチラホラと降り始めた雪は、今も続いている。空からの贈り物は、街を飾り、クリスマスに相応しい“銀世界”を作り出していた。寒さと傷心。サキを心配して、スガはサキのコートを神に差し出したが、神は無反応だった。
サキが飛び出してから、そろそろ30分。スガが当てつけがましく、大声で発していた “独り言” は、神にとっては初めこそ耳障りだったが、時計の針が進むのにつれて、不安をかき立てるものとなった。
「サキさん かわいそう」
「肝心なことには鈍感なんだから 先生って」
「コートなしで凍えてますよ 雪降ってるんだから」
「普通ならクリスマスイヴで盛り上がってる頃ですよねーっ 恋人同士は」
「彼女のいない男は 一人や二人じゃないんですよ その中に悪い虫が いないとは」
「大丈夫とは思いますが サキさんだって年頃の女の子だし」
「結婚前の大事な体だって事は 先生が一番ご存じのはずですよね」
「偶然 ムウ＝ミサが現れたりして」
まんまとスガの策略に乗せられ、心穏やかではいられなくなった神はソファから立ち上がって、大慌てで出掛ける準備を始めた。
「サキのコートは？」
はいっ、と手際良くスガが渡す。
「そうだ。私もコートを」
今受け取ったサキのコートを、一旦テーブルの上に置いて、ソファに投げ出したままの自分のコートを引っつかむと、０．３秒の早さで袖を通し、玄関までダッシュ！
「留守番、頼んだぞ！」
傘を広げ、疾風のように雪降る夜の闇へ消えていった。
「意地張ってないで、最初から、そうすれば良かったのに」
ふう、世話の焼ける。ため息をついて視線を下に落とすと……忘れられた、サキのコートが泣いていた。
「やだ、もう。おマヌケすぎて怒る気も失せたわ」
電話を留守電に切り替え、戸締まりをして、急いでスガも出掛けた。
公私の区別と言いながら、確かに思い返してみれば、架空の妻がサキと似た設定では、スガの言い分ももっともだし、サキが勘違いしたのも責められない。九割方は自分に非が有ると反省した神は、サキを見つけたら一番に謝ろうと思っていた。が、見つからない。
「そうか、外に居るとは限らないか…」
少し捜索範囲を広げ、喫茶店やファストフード店、本屋、雑貨屋などなどをのぞいてみた。しかし、いない。
「バスか電車か？ 本格的な家出か？」
記憶をプレイバックさせてみる。バッグはソファに置かれたままだった。財布は持っていない。ポケットに小銭が入っていたかもしれないが、遠くへは行けまい。
賑わう街中ですれ違うのは、カップルか家族連れが多かった。キョロキョロと右を見て、左を見て。また右を見て、左を見て。そんなだから、他人の傘とよくぶつかりそうになり、すみません、失礼、を連発。気が付けば、随分と遠出をしている。
「こんな所まで来てしまったか。随分と歩い…た……まてよ？ この先は…？」
神は更に２分ほど、歩道を真っ直ぐ歩いた。視線も真っ直ぐに、もう左右には首を振らず、だから障害物も的確に避けられるので傘や人とぶつかることなく、歩き進めた。そして目的地周辺まで来て立ち止まり、視線を対岸へ向けた。クリスマスと雪で混雑する道路の向こう側、反対車線の歩道にサキを見つけた。急いで50メートルほど先の信号まで走る。赤だ。足をコツコツ。青に変わるまでが、もどかしい。
「俺が悪かった。帰ろう」
誤解を生んだ宝石店のショーウインドーの前に、丸く、うずくまるサキに、神は傘を差し出した。サキは目線だけを上げて、何も言わない。
「どうしたら機嫌が直る？」
覚悟はできていた。甘いと思ったが、“買って” と言われれば、すぐ店に入って買ってやるつもりだった。持ち合わせはないが、カードを使えば、と。
「寒い。体も冷えちゃった。体中が暖かくなるような、熱いキスひとつ」
上目使いのまま神を睨むサキ。突拍子もないサキの言葉に目を丸くして神は驚く。
「いっ、今、ここで、かぁ？」
動揺が声に現れた。神のうわずった調子の声を聞いても表情を変えず、当然といった顔付きで頷くサキ。
「参ったな……」
神は目を伏せ考え込んだ。サキは……というと、その様子を見て、心では “ガハハッ” と笑っていた。本気ではない。神を困らせたかっただけだ。思惑どおり、うんうん唸って困っている。
（ふーんだ。出来っこないくせに。次は何て言ってやろうか？）
無理難題だっ、と音を上げるに決まっているから、次の手を…と、あれこれ策を練っていたサキの耳に、大きくて深い、神の溜め息が聞こえた。続いて……
「仕方ないな…」
え？ 何か言うことが違うぞ。今度はサキが予想外の台詞に戸惑う。
「何が『仕方ない』んだよ？」
サキの問いに無言で、神はサングラスを外し、背広の胸ポケットに収める。
「傘も邪魔だな」
すぼめてショーウィンドーに立て掛ける。その行動を不可解に見ていたサキは、神の手に引っ張られて立ち上がった時に、ようやく事態を把握した。
「ちょっ、ちょっと待った！ 冗談だって、冗談…」
道行く人々は、目のやり場に困っていた。慌てて視線をそらし、見て見ぬ振りをする人が多い中、露骨に嫌な顔をする人もいた。うらやましそうに、彼氏の上着の裾をクイクイ引っ張る彼女。若い人はお盛んねぇと、微笑ましく見守る（？）年配のご婦人とか、子どもに “見ちゃいけません！” と手で目隠しをする親もいたし、ヒューヒューと冷やかして行く、ヤンキーにいちゃんたちなど、エトセトラ。
（あ…ん…。頭が…体…が……）
サキは頭がクラクラし、身体の芯から熱くなってくる感じがした。
「だめだ！ これ以上！」
神の唇が離れた。サキの身体をも押し離して、垂らした頭をブンブンと横に振った。
「これ以上は理性が持たない。このまま、ホテルのベッドへ直行しそうだ」
「ラブホテルなんて、今頃は『満員御礼』ですよ、先生」
ピキーン。その声に、神の背筋は凍りついた。映画のスローモーションのように、ゆっくり、引きつった顔を振り向かせる。膨れっ面のスガが立っていた。
「キャーッ★ スガちゃん！」
今のキスで火照った頬が、更に熱くなるサキ。
「何故ここにいる？ 留守番はどうした？」
「忘れ物を届けに来ました」
差し出された物を見て、神は “あっ！” と思わず声を上げてしまった。次ぎに両手を見る。やっと気づいた。引きつった顔を無理に笑わせ、サキのコートを受け取る。
「い…いつから、そこに？ それより、よく『ここ』が、わかったな」
はぁ？ スガは目を丸くさせた。膨れっ面から呆れ顔に。
「ひょっとして、捜し回ったんですか、先生？ ああ、それで遅かったんですね」
ガックリ肩を落とし、溜息を一つついて、呆れ顔のままスガは続けた。
「呆れたぁー。サキさんの乙女心くらい、わかってあげてくださいよ。あたしの方が先に着いて、でも、あたしの出る幕じゃないし陰で待ってたんです」
何も知らない通行人たちは気にも留めず、三人の横を通り過ぎていく。二～三十人に一人くらいは横目でチラッと見たり、何だろうと首を向けて見ていく者もいたが、いずれも興味津々とは程遠く、風景を眺めるくらいの感覚で通り過ぎていった。
「だから、いつから？ と言われれば最初から。先生が傘を差し出すところから見てました。コートがないのに、いつ気付くかなーって思って」
拷問状態の神は、青ざめていたが、構わずスガは更に話を続けた。
「全く、通行人の皆さん、困ってましたよ。日本で街中キスは、まだ市民権を得ていませんからね。それと甘い『二人だけの世界』に浸るのも結構ですが、外では気をつけた方が良いですよ。命は大事にしてくださいね」
命は大事に。確かに、時と場合で、そんな心配もある。ごもっともなスガの説教に、言い返せない神。
「先に帰ります。お料理、温め直して待ってますから。それから先生。約束は約束ですからね！」
呆れ顔から少し厳しめの真顔に変えて念を押して、スガはその場を後にした。
約束。ちょうど一年前にサインさせられた、結婚するまで “サキの貞操には触れない” という、神にとっては何とも、つらい約束。スガの奴め！ 山ほど悪態をつきたいところだが、一言も言い返せないうちに全面敗北となった自分の不甲斐なさに、脱力するしかなかった。
「早く帰ろう。スガちゃん、また怒っちゃうよ」
サキの言葉に、神はサキのコートをさっと広げて背側に回した。サキは頭や身体に付いた雪を軽く払うと、ニコッと笑ってコートに袖を通した。
「腕……、組んでも良い？」
差し出された傘に入り、サキは照れくさそうに聞く。神は、これまた照れくさそうな顔で、言葉では応えずに、傘を持つ左腕を少し、サキの方へ寄せた。
＜ホワイトクリスマスイヴ ＥＮＤ＞