そうだったらいいのにな Episode 1「闘いの果てに」～５：崩壊～
「そこまでだ。サキ」
え!? この声!? 信楽老の身体が完全に動かないことを確認し、それでも、一歩一歩ゆっくりと、足を後ろへ滑らせて、壁に寄りかかっている神の側まで来ていたサキは、聞き覚えのある声で後ろから不意に言葉を投げかけられて驚き、振り返った。
「後は俺が始末する。早く行け！」
コントロール・ルームへ駆け付けたムウ＝ミサは、一直線にサキに駆け寄り、神を支えているサキの右肩をポンポンと叩く。
「おーい、隊長。この二人だ。男の方は、怪我してるから」
命令を無視して突っ走るムウ＝ミサを、薬の力を使ってまでも抑えようとしていた攻撃隊の隊長だったが、ミサの真剣さ、気迫に負けた形となって、結局は一緒に来ていた。
「分かった。ムウ＝ミサ、おまえは？」
一緒に連れてきた黒柳隊員をサキと神の側へ行かせ、隊長はミサに返事と問い掛けをした。少しばかり違う展開だったとはいえ、結果的に政府の意向に沿う形となった。遠目に肉の塊と化した“目的物”を見て、自分がミサを連れて帰る任務は中止と判断したからだ。
「最後の『仕事』を片付けるだけさ。どんな形でもという割に、最低限の損傷で、って矛盾してるよな、どっかの、うるさい『おエライさん』たちって奴は」
ミサは信楽老の側へ行くと、自分の銃で二発、念のための仕上げを兼ねて老の左胸を撃った。誰も、何も聞いていないのに、ミサは言う。
「何故二発かって？ 一発は仕事。もう一発は、俺と…俺の家族の分さ」
「ミサ……」
サキの顔が曇る。見て見ぬ振りか？ ムウ＝ミサはサキに近づくと、両腕をサキの肩に伸ばし、クルッと身体を回して出口の方へ向かせた。首をひねってミサの方に顔を向けるサキ。眉間にシワを寄せ心配な表情で見上げるサキの唇に、ミサは触れるか触れないくらいの軽いキスをして、背中をトンッと押した。それはミサなりの儀式だった。左脇から隊長に、右脇から黒柳に支えられて歩みを進める、恋敵の神へ、サキを渡す儀式……。
「サキ。幸せになれよ」
ムウ＝ミサは笑ってサキにウィンクすると、今度は神の背中に向かって叫ぶ。いつもの、憎らしい口調で…。
「サキを不幸にしたら、承知しないぞ！ その時は、力ずくでも、サキを奪っていくからなっ！」
隊長が気を利かせ、歩みを止めて、神の身体をミサ側に向ける。神は挨拶代わりに少し左の口角を上げ、わずかに右手も挙げた。
「おまえも早く来いよ。外で待っている」
ミサにそう声を掛け、隊長は黒柳と共に神を抱えていく。サキは、後ろ髪を引かれる思いで、何度も何度も振り返りながら、コントロール・ルームを後にした。
「さてと、どうするかな…」
焼け焦げた壁の向こうに見える物は？
「ライフポッドか…、これに乗せて……って、一人用だろ、これ。外部操作、出来るかな？」
信楽老の見開いたままの目を、情けで閉じてやるミサ。いくら上部の命令といっても、抱き上げてまで連れて行きたくない。襟元を掴んでズルズルと、ライフポッドまで引きずって行く。あの日の父、母、弟。マンハッタンの下町で辛酸をなめた日々。脳裏に過去が映し出され、総ては復讐のため、と感情を押し殺して“この日”が来るのを待っていた自分に、最大の賞賛を与えたい気分だった。
「欲を言えば、直接手を下したかったがな。サキの奴、一番おいしいとこ、持って行きやがって」
フフッと声を漏らして笑うムウ＝ミサの心は、澄み渡る青空のように晴れ、総てが吹っ切れた、爽やかな気持ちで満たされていた。
「GOOD-BYE……サキ…」
すでに姿の見えなくなったサキに向かって、ミサが別れの言葉を告げた直後、爆音と共にコントロール・ルームは炎に包まれた。
階下から聞こえた爆音に、サキは不安を煽られて、立ち止まって叫ぶ。
「ミサァーッ……」
不意にサキは右腕を掴まれる。
「あいつなら、きっと大丈夫だ！ 早く！」
隊長が身体をひねって左腕を伸ばし、サキの右腕を掴んでいた。神を支え、さらにサキを引っ張る体勢は、さすがに屈強な身体の隊長でも辛かったが、そのまま引きずるようにして、何とか外へ連れ出した。
梁山泊の全景を眺められる位置にいても、内部で起こっている爆発が無数だと確信できるほど、通気口や岩の切れ目からは絶え間なく煙が吹き出している。もはや誰の目にも明白だ。梁山泊が崩れ落ちるのは時間の問題で、防ぎようがないことを物語っている。
「隊長ーっ！ 御無事でしたかーっ！」
「黒柳ーっ！ お疲れーっ！」
サキと、神を抱えた隊長と黒柳は、岩棚に空く穴から空中待機していた救助ヘリに乗り込み、他の隊員達が待つ梁山泊近くの平原に降りた。帰りを今か今かと待っていた隊員達が迎えに走る。
その場には隊員に見張られて、逮捕された信楽老の私兵達も集められていたが、疲労からか意気消沈していて静かだった。
「担架を一つ、持って来てくれ」
隊長が指示を出すと、即座に担架が運ばれてきた。しっかりした意識はあっても、身体の自由が利かなくなっている神を、そっと担架に下ろす隊長。
「ちょっと失礼するよ、お嬢さん。悪いけど、彼の右手首を出してくれないかな？」
担架と一緒にやって来た、“救急”の腕章をした白衣の男性が、横たわった神の状態を観察しながら、側で付き添うサキに声を掛けた。髪は乱れてボサボサ、ヨレて皺が目立つ白衣には、よく見ると不規則に点々と血が付いていて、ここでの忙しさを端的に表している。
サキが言われるままに神の右手首を少し上げると、白衣の男性は識別番号が書かれている、透明のプラスチック製ラベルを神の右手首に巻いた。
「ざっと見て、外傷は肩だけのようだけど、重傷みたいだね。意識ある？」
運んできた隊長に確認をする、白衣の男性。
「意識はあるが、銃弾を受けたままで、かなり無理しているらしい。今は落ち着いてきているが、多量の出血がある」
白衣の男性は医師の一人だった。持っていたバインダーの右側から新しいカルテを出すと、巻いたラベルの番号を記入して、隊長の言葉を専門用語も交えて書き込み、バインダー左側の記入済みカルテポケットに入れた。
「ヘリに運んで！ 私もすぐに行くから、安静にさせといて」
医師の指示で運ばれる神の後について、サキも医療用の大型輸送ヘリコプターに一緒に乗り込む。
サキと神を見送りながら、隊長は医師に話しかけた。
「これで一応、全部だ」
「一応？」
「内調室の者だが、負傷予定者が一人。あいつのことだから、無傷で出てくると思うが念のため、救急用具、貸してくれ」
「はい、はい。蝦名君、５号バッグ、取ってくれ。あと、酸素吸入セットもあった方がいいかな」
同じ救急の腕章をした看護士が“No.5”と書かれた、小型スーツケースほどの大きさの、赤十字の入った白いショルダーバッグと、小型カートに乗った酸素ボンベを隊長に渡した。
医療用ヘリの操縦士に“出発”の指示が下り、重傷者を乗せた医療用だけ二機、先に飛び立った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴォー。医療用ヘリが飛び立ってから数分後、轟音が響き渡る。ヘリの窓から覗くサキの眼に映った物は、崩れ落ちる梁山泊……。強靭な岩盤を持った巨大な岩棚が、いとも簡単に崩れていく。ヘリにまで振動が伝わったのか、一瞬、グラッと揺れた。
「見る？」
「ああ…」
簡易ベッドに寝かされていた神は、サキの手を借りて体を窓へ寄せる。ヘリの小さな窓から、憎き“邪悪の象徴”が消え去るのを最後まで見届けた。
「やっと終わったな。俺たちの闘いが……」
「うん…」
窓の外を見つめながら、サキは短く答えた。
敵を倒し、自らが助かってこその勝利。満足感と共に、ムウ＝ミサの安否が気遣われる。
（大丈夫だよね？ ミサ…）
＜つづく＞